他人の片想いで寝落ちする
眠れないときは、頭を空っぽにせよとよく言われるが、それが難しい。
どうすれば何も考えずにいられるのかをまず考えてしまう。
その答えが見つからないことにモヤモヤしてますます眠れなくなるので、できるだけ「頭を空っぽにしよう」と思わないことを心掛けている。
ベッドではいつも、音を流している。
水の音が好きだけど、サラサラ流れる小川は速すぎて落ち着かない。
不規則にチャポチャポいう波の音か、いっそ雷雨の轟音が好き。
規則性のあるものは、無意識に次のタイミングを待って構えてしまうので緊張が取れない。
ものごころついたときから不眠症だった。
半世紀以上にわたる不眠との闘いの中で、私が会得したのは突拍子もないことを思い浮かべては連想をつないでいくこと。
日常や現実とかけ離れていればいるほどいい。
大事なのは、思い浮かんだ一つ一つに固執しないで次から次と連想していくこと。
少しでも固執すると、起きてスマホで検索したくなるから、そこまで興味を喚起しないような完全に「他人事の世界」だけをとりとめなく想像していく。
普段、テレビのバラエティ番組はほとんど見ない。
面白さがわからないというか、笑いのツボみたいなものが私はほかの人とズレている気がする。
特に誰かのリアクションを笑うものとか、人を「いじる」ものとか、いじめられていた過去を連想させて気分が悪い。
そういうものに当たるのが嫌なので、番組そのものを見ない。
しかし、寝る前のとりとめのない連想がうまくいきそうにないとき、配信で恋愛リアリティを見ている。
最近は、欧米ものは見尽くして韓国の番組を流している。
途中で寝て展開がわからなくなっても全然かまわないし、そもそも寝落ちを目指している。
ドラマだとストーリーのほかに演技や演出、セリフや小道具や伏線などありとあらゆることが気になるし、過去の自分の経験と重ねてしまうこともあって、脳が忙しくなって眠るどころではない。
展開がどうでもいいと思うほどつまらないドラマは、途中で消してしまうから寝落ちが望めない。
その点、恋愛リアリティは完全な他人事として見られる。
異国のものはなおさらである。
過去の経験や心理に重ねることはあっても、時代も違うし、お膳立てされた出会いそのものが自分の経験にない。
合コンも嫌いだったし、現代のようなマッチングシステムがあったとしても、絶対に利用しなかっただろう。
そもそも恋愛や結婚に重きを置いていないのだと思う。
「娘の幸せな結婚生活」を望む両親や兄がおらず、もっと若いうちからいまのような天涯孤独だったら、私は恋愛はしただろうけど結婚はしなかったと思われる。
なのに26年間も結婚していたなんて、よく頑張ったよ、私。(自画自賛)
ということで、先日まで「ラブキャッチャー」を見ていて、いまは「EDEN」というのを見ている。
複数の男女が限られた空間で数日を過ごすというのはよくある設定で、ここで自分の意中の異性の心がほかの人にあるとわかってもあきらめない人物が必ずといっていいほど登場する。
MCやコメンテーターたちは、こういう人を「健気」とか「一途」とかいって褒めたたえては応援する側に回るのだが、私は一方的に想われてちょっかいを出されるほうの負荷を想像して同情する。
自分を想っていないと言っている相手に、しつこくつきまとう人に苛立ってしまう。
昔、ユーミンの歌に「まちぶせ」というのがあって、三木聖子(のちに石川ひとみ)が歌った。
それから、あみんの「待つわ」。
私は、こういうのが苦手だ。
待つのは平気だが、待たせたり待たれたりするのが嫌い。
だから、「あなたを振り向かせる」とか「あなたが振り向いてくれるまで待ってる」という状況や心情にぞぞっとする。
私は、どうでもいい人に寄って来られると、嫌いのほうに傾くので、余計にそう思うのかもしれない。
いつの頃からかやたらに「自分らしく」と叫ばれる世になった。
番組でも「自分の想いに忠実に」というのがコンセプトらしい。
好きな相手に負荷をかけることを厭わず、自分の想いを遂げるために必死という姿が見られる。
脈がないと思ったらとっととあきらめて別の人への可能性を探る人を、どちらかというとマイナス評価する雰囲気に、なんだかなぁと思っている。
しかし、過度に共感を誘わないで結末まで流れる感じが、寝落ちに最適とも感じている。
