余韻を強制しない
昨日の記事の補足、のようなもの。
私は鍵もすぐにかけるし、別れたあとも見送らない。
冷酷で素っ気ない人間だと思われることを、年齢とともにあまり気にしなくなった。
実際に冷たいのかもしれない。
けれども、選択や行動には私なりの理由があって、経験がそうさせる。
似たような経験がない人との感覚にどうしても差が生まれる。
その差を埋めようとする努力をしたい間柄かどうか、したい相手かどうかが後の関係を分ける。
別れた夫は、そうしたい相手ではなかったということだ。
言ってもわかってもらえないだけでなく、言おうとすること自体を不快と思うだろう。
彼は自分と違うほうを、必ず間違っていると責める。
声を荒げる。
だから、私は彼と異なる思いを、伝えようとしなかった。
恐怖のあまり委縮し、最初から何もかもあきらめた。
かつて介護に通っていた実家は、最寄駅から歩いて30分ほどだった。
バスもあるが通勤時間を外れるとグッと本数が少なくなるので、私は大抵歩いた。
うち、10分ほどは、家の前の長い直線道路。
北海道か、と思うが、いやいや、これが関東平野だとも感じていた。
首都圏に通勤する人が、ここに住まいを定めて毎日通えるかと迷うような範囲だ。
自宅に帰る私を、母は外に出ていつまでも見送っている。
北風の日も灼熱の日も、去り行く私の背が見えなくなるまで。
たまにある大雪の日だって、ほおっておけば母は見送りに出てきてしまう。
視界を妨げるものはなく、道を曲がって見えなくなるのではなく、あまりの遠さにポツンと点になり、その点が見える視力が届かなくなってからあきらめて、家の中に入る。
見送られる身としては、これが本当に苦痛だった。
自宅で離れてする心配とはまた別のもの。
寒くないか、暑くないか。
痩せた身を強風がさらってしまうかもしれない。
直線ゆえにスピードを出して通り過ぎる車が、操作を誤って突っ込んでくるかもしれない。
鍵を開け放して出てきている隙に、不届き者が侵入するかもしれない。
心配で、たびたび振り向いてしまう。
すると母は、手をあげて大きく振る。
豆粒の母から振られる手が、風に揺れる小さな芽のように。
いますぐ戻って抱きしめたくなる。
しかし、私には仕事があり、帰るべき家庭があり、しなければならない家事もある。
いったいいつまで振り向けばいいのか。
振り向かなければ、早く母があきらめて家に入るのではないか。
しかし、振り向かないことで、母の淋しさを募らせるかもしれない。
その葛藤とストレスで息が苦しくなる。
そして、私は求めた。
私が出たらすぐに鍵をかけることを。
それは見送らないでいいということだ。
そのための証としての鍵の音。
そうすれば、私は心置きなく、前だけを見て長い直線道路を歩くことができる。
防犯のためというのももちろんあったけれども、私の心の安定のためだったのだろう。
もしかしたら。
私が誰かをずっと見送っていたとき、私が相手に与えたものは優しさではなくて葛藤やストレスではなかったか。
職場では、できるだけみんなが「言いたいけど言い出しにくい」と思っていることを私が言おうと思っている。
何かを「もうやめてください」とか「これで終わりにしたい」とか「こちらにしよう」とか。
だから、すこし親しくなると、「風待ちさんから言って」とよく頼まれる。
決断をすると、それで発生した不都合は、言った人のせいになりがち。
だから思っていても自分では言わないで、誰か言ってくれないかなぁと思っている。
誰かが言ってくれれば、自分も賛成(便乗)するのに、って。
私も昔はそうだった。
でも、夫と暮らした26年、ほぼ「イヤ」と言えずに過ごした。
もっと早く「終わり」を言い出せば良かったのかもしれないけれど言えずにいた。
決断力はあるほうだと思っていたけど、この決断だけはできずに我慢した。
一人になってからは、早い決断にも決定を促す発言にも、躊躇が少なくなった。
開き直りかもしれない。
誰かに見つめられながら、長い直線道路を悶々と歩くことに耐えられなくなったのだ。
離婚もして、見送りするのもやめて、返信の応酬もやめた。
ドアが二人を隔てた瞬間、鍵をかけたりかけられたりする。
別れの余韻は、ひとりになってから自分だけで浸る。
