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外出の目的

職場見学という名の面接に行ってきた。
どうしてもここで働きたいという気持ちにはならなかった。
生活を維持するためにやむなく入る会社というランク。

決まれば、私の席になるところも見せてもらったが、人口密度が高くて(狭い事務所に人と物がぎっしり)それだけでストレスが溜まりそう。
ほとんどが女性だったのも、なんだか難しそう。
前任者がすぐ辞めていて理由は不明というのも引っかかっていた。

そうそう好みに合う条件のところがあるはずもない。
あったとしても、片思いでは結婚できない。

面談者が管理者というだけでなく実務者だったのは良かった。
大きな組織で、いくら人事担当者と相思相愛になっても、実際に配属されるセクションに行ってみたら合わなかったということもある。
私側の意向としては話を進めてもいいかという問いに対して、熱意を持って「是非お願いします」と言えなくて、「前向きで」みたいな曖昧な言葉で濁してしまった。

なんだか相手もそんな気がしている。
こういうのって、場数を踏んでいるとなんとなく直感でわかるものなのよな。
どうしてもこの人(私)を採りたいというのではなくて、ほかにいなかったらやむなしというランクだろう。
このあと、ほかの人と面接するかどうかも、訊かなかった。
まあ、普通はする。
いつ結果が出るかも尋ねなかった。
それが私の熱意や意欲のなさをあらわしている感じ。

コーディネーターが、本来の担当者の代理としてやってきた若い男性で、全身から「この業界、入ったばっかり(社会人、なったばっかり?)」感を醸し出していた。
名刺交換もぎこちないし、進行もヘタクソで都度言葉に詰まり、かなり心もとない。
こんなヤツを寄越す程度なのよな、私への期待値なんて、と一瞬僻んではみたものの、残り時間が少ないおばさんよりは、若くてバリバリやれそうな人に力を注ぎたいのは納得である。

いま、とても労働意欲が低くなっている。
心のどこかで、どんどん少なくなっていく残り時間を嫌々過ごすのはどうなのかという疑問がある。
そうはいっても、金がなけりゃどうにもならんではないかという思いもあるけれど、その答えはないわけではない。

生きるのをやめればいいのだ。
月の赤字平均額×12か月×残り生きそうな年数で出した数字が預金を下回ればいい。(最晩年は施設か病院収容になって赤字額が増える計算)
下回る年数しか生きない。
問題は、呆けて自分の命を差配できなくなったらどうするか、にある。
頭が確かでも健康状態によって生じる赤字額の差は激しく大きい。

しかし、そう割り切れば、精神的にはラクにはなる。
老後をどうしようどうしようと悩んで過ごすストレスは、たぶん体にも悪影響をもたらすはずだ。

ご都合主義を存分に発揮して、自宅とは別方向の電車に乗った。
美術館に行こう。

だが、到着するとチケット売り場は長蛇の列。
昨日は祝日だったが、今日は平日。
たぶん今日も休みを取って連休にした人もいるのだろう。
インバウンドと張り合うような日帰りの国内行楽客とおぼしき混雑ぶり。
ソメイヨシノの開花宣言はまだ出ていないが、連日、天気予報で桜前線が話題になっているので、心浮き立っているのかもしれない。
天気もいいし。

常設展好きな私は、なら常設展にしようと思ったが(すでに何十回も観ているが)チケットの行列は共通だと気づいた。
私は、並ぶのが超、超、嫌い。
それでも未練断ち切れず、出てきた人に「中も混んでましたか?」といきなりインタビューする。
みなさん、善いかたで、見ず知らずの私の問いに快く答えてくださった。
ありがたい。

で、鑑賞を断念。
これは、桜が散った後にでも出直すしかあるまい。
その頃には、花粉症のピークも過ぎているだろう。

無性に濃い珈琲が飲みたくて、1000円出してもいいと思ったが(失業者のくせして)、予想通りカフェ難民となり帰途につく。
今日は、面接に来たんだからと自分を納得させて、Suicaの残高を減らす。

珈琲を飲み損ねた腹いせ?なのか、相殺癖のせいか、帰り道でロールケーキ1200円を買ってしまった。
こういう人はお金が貯まらない。

しかし、今日の外出は面接のためと思うより、ケーキを買うためと思ったほうが自分を納得させられるのは、どうしたものか。