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愛でる人と愛でられない人

通院日だった。
先週からの疲れが溜まっているので、帰りは食材の買い物だけしてお昼前に帰宅。
エレベータを降りたら、下の階にお住まいのかたが幼いお孫さんたちを連れて「桜並木見物」に来ていた。
エレベータホールの窓から北に延びる国道が見えるのだが、道沿いに桜が植えられていて、これこそが私のまさに「地元の桜」。

リビングの国道側の窓からの風景はめったに見ない。
先の交差点で事故に遇った記憶がまだまだ生々しくて、車の通行を見たくないから。
昼間は音がうるさいし、特にいまの季節は花粉を入れたくないから窓も開けない。

自宅の窓から見える桜を、これまであまり気にしていなかった。
窓の真下にも、大木が数本連なっている。
歩くときには見上げるけれど、窓からはほとんど見ない。
そういうものなのかなぁ。

地元の桜といえば、近隣の賃貸マンションの庭にかつて見事な桜があった。
端の部屋ギリギリにまで枝は伸びて、2階から3階くらいまでの部屋の人は、ベランダで間近に桜が見られる。
ちょうど近くに街灯もあるので、暖かい夜はベランダで缶ビール片手に夜桜見物ができそうだと羨んでいた。

しかし、数年前に伐採されてしまった。
居ながらにして花見ができそうと思われる住民のかたがたから苦情が相次いで、大家さんが決断したとのこと。
30年近くも、春にはその桜の下を通って通勤していた私は、「なんで?」と淋しがった。

苦情は、桜についた毛虫が枝を伝ってベランダに侵入したり、干してある洗濯物につくという内容。
なるほど。

虫が超苦手な私は、シーツにそんなものがついていたらきっと悲鳴を上げるに違いない。
そして、手当たり次第に友達に電話し、とにかく誰かに来てもらう。
まあ、とりいそぎお隣さんだな。
そして、「どうにか」してもらう。
うっかり部屋に入れてしまったら、心臓が止まってもおかしくない。

でも、最近、木に虫がついているのをあんまり見ていない気がする。
気がつかないだけかしら。
子供の頃は、何の葉っぱだったか忘れたが、大発生したアメリカシロヒトリ(ヒロシトリ?)がびっしりとついているのを見てしまって、衝撃のあまり悲鳴も上げられなかった記憶がある。

名前が定かでないのは、検索していきなり画像が出るのが怖いから。
文章も内容も好きだったのに、冒頭にいつも虫の写真をアップするブロガーさんのお気に入りを解除せざるをえなかったことがある。
バッタやチョウチョをつかめた幼児時代の自分の記憶すら忌まわしい。

死んだ母は、素手でゴキブリを叩く人だった。
その1点だけをとっても、尊敬に値する。

桜の伐採を願い出た人は、お子さんがアレルギーになって、結局引っ越して行った。
桜アレルギーなのか、そういうものがあるのかどうか知らない。
それを皮切りに、次々と入居者が出ていき、いまそのマンションは空室が並んでいる。
桜は切られ損というか、切られ甲斐のない命となってしまった。

ただ、そのことは、みんなが愛でるものを愛でられない人もいるということを私に実感させた。
他者の立場に立つということの難しさ。
事情を知らなかったら、みんなが楽しみにしていた桜を切らせた人を無粋だと思ったことだろう。
あるいは、「虫くらいで大げさな」という感覚だったらば。


昨日、谷中墓地で

明日は仕事。
雨の予報が出ている。
いよいよもって当地の桜も見納めになるかもしれない。
西のほうでは雹が降ったという。

自分の去り際に嵐をもたらす春という魔物。