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「ハコモノ行政:絶対零度の社会病理学」

「ハコモノ行政:絶対零度の社会病理学」

【序】
東大阪の行政窓口で、無戸籍・住民登録なしの子どもの話をした。差し支えなければ、という話の流れから返ってきたのはこれだった。
「無戸籍・住民登録がなくても、学校には通えますよ」

――それ、制度の建前を読み上げてるだけ。元当事者相手に実に教科書的な返答だ。
学校教育法の一節を丸暗記しただけの知識を鼻にかけて、窓口の職員がしたり顔でのたまうとは。

現場の壁にぶつかって立ち往生している子供の絶望など、その高い鼻の先にも掛かっていないのだろう。
あなたたちが「通えますよ」と言うほど、現場は甘くない。

教科書は無償配布の対象外だ。貸与すらされない。学びの基礎となる一冊一冊を、すべて自己負担で揃えなければならない。
教師から手渡される給食費や諸経費の請求書。
「この封筒、必ず親御さんに見せてね」
その「親」がいないという想定すら、あなたたちの想像力からこぼれ落ちている。
建前と現実の乖離を、窓口は知らない。知ろうとしない。

ぼくがこの話を「笑い話」として差し出したから、その担当者は自分も笑っていいのだと勘違いして、窓口の向こうで笑っていた。
そこに座って笑えるのは今のうちだ、とも思った。

現実の問題点の出口も含めて、AIなら1秒で出してくれる。人間であるあなたがそこに座っているのは、制度の隙間に落ちた『想定外の人間』を救うための『思考』をするためじゃないのか?
思考しないなら、その椅子に座っている意味はあるのか?

【2】定義:ハコモノ化

「ハコモノ行政」という言葉がある。
本来は、中身のない建物を乱立させる無駄な公共投資を指す言葉だ。だがぼくはこの言葉を、もう少し広い意味で使いたい。行政組織そのものの空洞化、という意味で。

外側は整っている。立派な庁舎、清潔な窓口、分厚いマニュアル。市民対応の手順は細かく定められ、職員はそれを淀みなく読み上げる。
問題は内側だ。
そこでは、組織を構成する「人間」という名の分子が、その運動を完全に停止させている。

本来、現場で起きる異常事態や、制度の隙間に落ちた個人の絶望に触れれば、人間という分子は激しく運動し、摩擦し、熱を発するはずだ。それが「思考」であり「当事者意識」と呼ばれるエネルギーの正体だ。
だが、このハコの中では、マニュアルという絶対的な冷気がすべてを凍りつかせている。
目の前の「異常」を「想定外」として切り捨て、手順書の範囲内で処理を完結させる。その繰り返しの果てに、個々の職員から自発的な思考という振動が消え、組織全体が「絶対零度」へと至る。

人がいる。椅子がある。窓口がある。
ただし、分子運動としての「考える機能」は、もはや一ミクロンも動いていない。
これがハコモノ行政の完成形だ。

【3】「透明な死」が何故生まれるのか?

【2】で定義した「分子運動の停止」が、現実にどのような破滅をもたらすのか。

熱を失った空間(ハコ)の蓋をし続けると、そこには物理的な必然として「凍結した不条理」が積み上がっていく。
まず、子どもが透明な死に至る。
無戸籍、住民登録なし。社会的な熱量を持たない子どもに対して、絶対零度の窓口が出せる答えは「学校には通えます」という定型出力だけだ。
通学という一点において、制度上の「点」は打たれる。だからそれで処理は完結し、分子運動は再び静止する。
だが、その子が18歳になったとき、身分を証明できないという現実が待っている。戸籍も、住民票も、免許も、口座も持てない。社会という空間において、その子は法的に「存在しない」ことになる。これが「透明な死」だ。

次に、リスクが現場に流れる。
素性も身元も確認されていない子どもを学校という「生きた現場」に送り込むのは、行政だ。

しかし、その熱い摩擦――現場で生じる葛藤やリスクを実際に引き受けるのは、最前線の教師であり、同じ教室で呼吸する子どもたちであり、その保護者だ。
行政の窓口は、絶対零度のまま何も負わない。処理という名の「静止」は、すでに完了しているからだ。

そして、法律が止まる。
最前線の分子運動が止まり、「問題なし」という信号を送り続ける限り、国という巨大な組織は現場の熱(実態)を感知できない。
データに上がらない問題は、政策という運動にならない。法改正という熱源にもならない。窓口の沈黙、その絶対零度の安定が、国家の立法機能を凍結させている。

笑えるのは今のうちだ、と最初に書いた。これがその理由だ。
組織が冷え切った果てに待っているのは、緩やかな、しかし確実な崩壊なのだから。

【4】東大阪が例外ではない

体質は継承されている。分子運動の向く方向だけが、冷酷に、そして静かに凍結した。
面倒なことは隠す。上には報告しない。問題は「処理」で完結させる。かつての「過剰な配慮」という熱量は、今や「完璧な黙殺」という絶対零度の安定へと反転した。古い組織構造というハコが、新しい社会的弱者を、音も立てずに切り捨てている。
このような行政のハコモノ化は、東大阪市だけの問題なのだろうか。

【結】分子運動の再開を求めて

目を外に向ければ、そこには異なる物理法則で動く国々がある。
ドイツ、フランス、そして北欧の国々。これらの国では、新生児が産声を上げたその瞬間に、国家がその存在を「国民」として、一人の「人間」として即座に把握するシステムが機能している。
そこには、制度の隙間に落ちて「透明な死」に至る余地などない。国家という巨大な組織の末端まで、常に「国民を一人も取りこぼさない」という意志の熱が通っているからだ。
ひるがえって、この国はどうだ。
自国の、今ここに生きている子どもすら把握できず、救えないシステム。そのシステムが今、移民政策という名の相転移を迎えようとしている。絶対零度のハコが、新しい隣人たちを適切に迎え入れ、管理できるのか。

自国民を大切にできない国が、外からのお客さんだけを丁寧に把握できるはずがない。そこでもまた、新しい「透明な死」と、新たな「現場へのリスク転嫁」が繰り返されるだけだろう。

窓口の椅子に座り、分子運動を止めて笑っているあなたに告げる。

そして、そのハコの外側で、静かに凍りつこうとしているぼくたち国民一人ひとりに問う。
ぼくたちは、この「絶対零度の社会病理」を、いつまで放置し続けるのか。

制度という冷たいマニュアルを、もう一度、人間の血が通う「思考」という熱で溶かさなければならない。
自国民を、一人の人間を、産まれた瞬間から最後の一歩まで大切にする。
その当たり前の「国のあり方」を取り戻すために、ぼくたちは今、この凍りついたハコの蓋を、内側から叩き壊す声を上げるべきだ。

ぼくは、一地方都市の行政に、テンプレのような、謝罪も、補償も、再発防止策も、求めていない。そんなものに期待するほど、この組織を買っていない。

あなたたちが「考えない」という選択をするたびに、社会は少しずつ腐っていく。その因果を、窓口の向こうで笑いながら処理しているあなたたちは、まだ理解していない。この国のシステムに埋め込まれた、バグの正体を。

ぼくはそれを記録し、暴き、突きつける。それだけだ。

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