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大粛清のあと、ロンドン拠点は「残った」のではなく、かろうじて息をしていた #21


ここから見えてくるのは、ソ連の対外工作が敵に壊されたというより、自分たちの恐怖で自壊したという現実です。

1937〜38年にかけて、NKVDの主要駐在所は次々と縮小し、ロンドンも例外ではありませんでした。大規模な非合法組織の多くは粛清の対象となり、まず疑われたのが、英国工作の中心人物だったテオドル・マリュでした。宗教的な経歴と、テロ行為への嫌悪感は、この時代にはむしろ「怪しい証拠」として扱われたのです。彼は、自分がモスクワに戻れば助からないと理解していながら召還命令に従い、到着後にドイツのスパイとして告発され、数か月後に銃殺されました。


いちばん危ないのは、敵に見つかることではなく、味方に疑われること

この体制の恐ろしさはここです。
有能で、実績があり、深く西側に食い込んでいた人間ほど、「何か裏があるのではないか」と見なされやすい。

ドイチュ自身も1937年11月にモスクワへ呼び戻されました。マリュのように即処刑されたわけではありませんが、センターは彼の信用が崩れたと判断していました。つまり、英国工作を育てた中心人物たちが、外側の失敗ではなく内側の不信によって現場から消されていったのです。

その結果、ロンドンの工作網は深刻な空白に陥ります。
キング大尉との関係も切断され、ケンブリッジ・グループについても「マリュが敵に売ったのではないか」という懸念が生まれました。しかも同じ時期、クリビツキーの亡命がこの不安にさらに火を注ぎます。彼は五人の具体名こそ知らなかったものの、スペインに送られた若いジャーナリストの存在など、断片的な情報は把握していたからです。

せっかく中枢に食い込んでも、受け取る側が壊れていた

皮肉なのは、この混乱のさなかにも成果そのものは出続けていたことです。

同じ頃、バージェスは秘密情報部SISへの加入に成功し、新設部門セクションDに入ります。これは、将来の戦争でサボタージュや心理戦などの非合法手段を担う重要部署でした。本来なら、センターにとって飛び上がるほどの成功です。ところが実際には、センターは喜ぶどころか、恐怖と疑念でほとんど麻痺していたと描かれます。

ここがこの時代の異様さです。
敵の中枢へ人間を送り込むことには成功する。けれど、その成果を受け取り、活かし、次の一手に結びつける側が、もう正常に機能していない。

ロンドンに残った者は、肝心のフィルビーのことすらよく知らなかった

1939年になると状況はさらに深刻化します。
オルロフの亡命なども重なり、英国における諜報活動の将来そのものが危ぶまれる事態となりました。非合法活動はいったん停止され、合法駐在のスタッフもほぼ全員が召還されます。ロンドンに残されたのは、アナトリー・ゴルスキーただ一人でした。

しかも、このゴルスキーは最重要エージェントについてさえ十分な説明を受けていなかった。
スペイン内戦後にフィルビーがロンドンへ戻る予定になった際、彼はセンターに対し、SÖHNCHEN(フィルビー)について「基本的な情報だけでも提供してほしい。我々は最も一般的な情報しか把握していない」と訴えています。

これは相当まずい話です。
英国の中枢に潜り込ませた超重要資産について、現地担当が「よく分かっていない」のですから。

「偉大なる非合法工作員」の時代は終わり、別の人間が前に出てくる

1940年末、ようやくロンドンの合法駐在は再開されます。
そこで前面に出てくるのが、再びロンドンへ戻ってきたゴルスキーでした。けれど彼は、ドイチュやマリュのようなタイプではありません。資料では、彼は厳格で効率的だが、ユーモアがなく、共感力にも乏しい正統派スターリン主義者として描かれています。ブラントは彼を「鈍重で共感性に欠ける」と見ていました。

ここで一つの時代が終わったことが分かります。

  • ドイチュやマリュは、人を見抜き、育て、同志として動かした

  • ゴルスキーは、整理し、管理し、統制する

  • 前者はネットワークを生み出す人

  • 後者はネットワークを運用する人

もちろん運用は大事です。
ただ、ケンブリッジ・グループのような特殊な人材には、前者のほうが圧倒的に向いていた。

それでも回路はつながり直す。だからこの物語はまだ終わらない

それでも、完全には切れませんでした。
1940年のクリスマス・イブ、ゴルスキーはフィルビーとの接触を再開したと報告します。しかもこの時点でフィルビーは、すでにSIS内部で新たな位置を得ており、やがて特殊作戦の領域にも接近していきます。センターは久々の朗報としてこれを歓迎しました。

つまり、ロンドンの工作網は壊れたままでは終わらなかった。
壊れ、疑われ、切断され、それでも再接続される。

そして戦争が本格化すると、この再接続された回路から流れ込む情報は、量も質もさらに重くなっていきます。
問題は、ソ連側がその情報をどこまで正しく理解できるかでした。西側に深く潜れたとしても、モスクワの受け取り方が歪んでいれば、成功はそのまま成功にならないからです。

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