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信じ過ぎることの罪ーー踏み迷わぬために

AIによる要約

「ハルマゲドン」や国家への過剰な信仰は、人間を思考停止へと導きうる。
日々の恵みに立ち返り、何に従うべきかを問い続けることこそが、信仰を踏み外さない道である。


十字軍としてのイラン戦争

「ハルマゲドン」と聞いて[1]、オウム真理教を思い出した。
この世の終わりが来ないのなら、この世の終わりを作ってしまえと言わんばかりの地下鉄サリン事件。「ハルマゲドン」は怖い。
アメリカの保守派の間で「ハルマゲドン」到来への信仰が席巻しつつあるという。イスラエルを絶対的に支持する福音派の一部、そして軍隊もがその強い影響下にあるという。そして、その彼らは、イラン戦争もまた、「十字軍の戦い」として理解されているとしても不思議ではない。
1000年前のキリスト教の正義の前では、今日的な国際法の順守など、考慮にすら値しないであろう。彼らの信じる十字軍は、邪悪に対する絶対的な正義の体現だからであり、それに、武装したイエスの再臨への揺るぎない信仰が加わってしまい、しかも、世界最強と言われる軍事力を保持しているとなると、まさに、怖いものは何もない。手が付けられない。

機関説と主権説のはざま

かつて現人神と崇め奉られた男がいた[2]。本人は、自分の身の回りの世話をしてくれる人たちと肉体的にも精神的にも何も変わらず、しかも、たとえ神と崇め奉られたとしても、憲法には従って判断を行なうべきと考えていた。しかし、憲法を超越した絶対にして不可侵なその国で唯一の主権を有する者に祀り上げられてしまった。君臨すれども統治せずのつもりが、図らずも統治にも関与させられることになってしまったのである。
絶対的主権を持っているとはいえ、その国家体制を守るためと言われ、軍部の言うことを聞かざるを得ない局面に立たされれば、本人が望んでいなくとも、戦いの裁可を下さなければならなくなる。唯一の主権者たる現人神の元帥としての裁可である。裁可を熱望していた者たちにとっては、これ以上に強力な決定はない。異論、反論の余地など微塵もない。自分たち以外の正義も法もあり得ない。何しろ現人神の御意志だ。これもまた、止めようがない。手が付けられない。

国民の種をのこす

国民たちは、現人神を信じ、神国の全戦全勝を信じ、忠君愛国、挙国一致で戦った。戦いの終盤、講和を少しでも優位に進めようととった特攻作戦では、6000人の若者の命が奪われた。「体当たり機は大変よくやって立派な成果をおさめた。身命を国家に捧げてよくもやってくれた」と御言葉をいただいたのだという。しかし、東京はじめ、日本各地での大規模広域空爆、ヒロシマ、ナガサキへの原子爆弾の投下。政府の公式発表で310万人の生命を奪って[3]無条件降伏へと至った。戦後まもなく皇太子に送った手紙には、敗因について「わが国人があまりに皇国を信じ過ぎて、英米をあなどったことである。わが軍人は精神に重きをおきすぎて、科学を忘れたことである。戦争を続ければ、三種神器を守ることも出来ず、国民をも殺さなければならなくなったので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめたのである」[4]と認められていたという。

「身命を捧げる」

ここには、国家体制を守るために人を神格化させて行う支配の末路が端的に示されてはいないか。個人のレベルに落とし込んでいえば、何を信じるのか、何に従うべきなのかについて、思考を停止して、「信じ過ぎた」帰結がこれ、すなわち、一億層玉砕寸前の国難。
それは、たとえそれが全権を掌握する絶対的な主権者であったとしても、人による支配に「身命を捧げる」べきなのかという問いでもある。実は、この問いの答えが、宗教的思惟、あるいは信仰の真価を映し出す。
難しいことではない。たとえば、今朝の食事。食材はどこから?たとえば野菜。それがあるということは、畑もあったし雨も降ったということになる[5]。大地が育んでくれた生命をいただいているとも言えるが、その命のもとは、国家体制や現人神なのだろうか?信じるべきものはそこにはないはずだ。

天の恵み

この世の存在それ自体でもいいし、その存在が認識できていることでもいいが、天地の恵みを受けて命をつないでいる人間に信じるべきものがあるとするなら、それらをすべて包み込んで、つねに創造を更新し続けている存在だとは言えないか。
アラビア語的には、「万有の主( رب العالمين )」。この世にあるすべての存在の主である。どこかの民族やどこかの土地や、ある特定の人々の主ではなく、すべての人々のそしてすべての存在の主。
その人がこの世に生を享けているというだけで大きな恩恵を被っている。それだけで、その人の存在には価値があるのだが、その無辜なる生命を、ハルマゲドンを近づけるために無差別に奪うことを、この創造主が喜ぶと思うのか?神に対する反逆行為ではないのか。
この創造主からの恩恵は数えきれない。その大きな恩恵は、しかし大抵、見失われがちで、目の前で与えてくれる人、あるいは地上の権力者に向きがちである。それでもこの主は、日々の食べ物を通じてでさえこうやって、信じるべきものの徴を示し続けてくれているのだから、そこから背き去るようなことがあってはいけない。

信仰とは

人間は、自分以外をしばしば敵と味方、信者と不信心者といった具合に分けて、相手によって態度を変える。敵や不信心者は悪魔だと決めつけてしまえば、彼らを攻撃することに罪悪感がないのかもしれない。しかし、これこそが不信心ではないのか。創造の真実も創造主の満足も無視して、自分たちの思い込みを神として崇め奉る行為だからである。
しかし、元来、創造主に対する恩知らず具合も、踏み外し具合も、一人ひとりみな異なる。そんな状況の中では、寄り添うことはあっても、誰かに石は投げられないはずである。預言者イエスを信じている人々であればなおさらのように思う。
この世に生を享けた以上、それを授け、守ってくれる存在がある。ひとり一人が従うべき存在について、日々恩恵をいただきながら、問い続け見極め続ける。恐ろしいのはハルマゲドンだけではない。踏み迷ったときの思考停止だ。すべての称讃は万有の主にある。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。

脚注

[1] 「世界のドキュメンタリー「ハルマゲドンを待ち望んで 米国政治を動かす“福音派”」前編」NHKBS,初回放送日2025年5月27日(火)午後11:25
[2] 「映像の世紀バタフライエフェクト「昭和天皇 前編 立憲君主から現人神へ」初回放送日NHK総合テレビジョン2026年3月30日(月)午後10:00
[3] 「戦争で死亡の日本人、376万人と推計 政府公表の310万人と開き」朝日新聞、2025年11月17日 5時00分
[4]  「映像の世紀バタフライエフェクト「昭和天皇 前編 立憲君主から現人神へ」
[5] 《聖典クルアーン》アバサ章24節以下参照。

Special Thanks to: ChatGPT

タイトル画像:

Nicholas Roerich "Armageddon" via WikiMediaCommons


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