「イジュティハードの門の閉鎖」とは:ガザ―リー、ハッラーク、そして…
命のみなもと
「イジュティハード( الاجتهاد )」という言葉を御存知だろうか。「シャリーア( الشريعة )に適った法規範を発見する努力」のこと。「シャリーア」とは、とりあえず「イスラーム法」のことであるとするならば、「シャリーアに適った法規」は、すでに確定されていて、たとえば、ラマダーン月のサウム(斎戒)がそうであるように、動きようもまた動かしようもないものとは考えてはいないであろうか。そうであるのなら「法規範の発見の努力」などそもそも必要ないのではないかと。
実は、このイスラーム法における法発見の努力、すなわちイジュティハードこそが、イスラーム法の生命力の源であり、それが十分に機能すればこそ、可変的で事情に即した法判断を見出すことができるのだ。そうしたイスラーム法の姿こそが、「シャリーアに適った法規範( أحكام شرعية )」の名にふさわしいと筆者は考える。
しかしながら、こうしたイスラーム法のありようは、おそらく一般的なイメージ、すなわち、硬直的で固定的で時代錯誤的な法、とは正反対のものだ。
門は閉じた
しかしこの一般的なイメージは、オリエンタリストによるイジュティハード理解と一致する。「イジュティハードの門の閉鎖( إغلاق باب الاجتهاد )」をガザ―リーが決定づけたという主旨の指摘があるが、彼の生きた11世紀後半から12世紀にかけても、また彼自身の数々の著作の中にも、「イジュティハードの門」という概念を見出すことはできないのだ。
「イジュティハードの門の閉鎖」という表現が明確に文献上に登場するのは、13世紀以降のイブン・サラーフの時代以降であるとされている。
その門の閉鎖という議論があったからこそ、ムハンマド・アブドゥやラシード・リダーらによる19世紀のエジプトに巻き起こった、イスラームの覚醒運動の中で、イジュティハードの再開の必要性が叫ばれもしたのだ。
しかしながら、西側におけるイスラーム法の研究史において「イジュティハードの門」の閉鎖という言説を提起し、広め、固定化したのは、ドイツ出身のオリエンタリスト、ジョセフ・シャハトが、1964年にオックスフォードから出版した、『An Introduction of Islamic Law』の影響力に負うところが大きい。
門は閉じていない
シャハトは言う。「ヒジュラ暦4世紀の後半には、あらゆる法的問題にはすべて答えが出し尽くされ、今後なし得ることといえば、先例に一字一句と違わないまったく忠実な解釈のみとされた。これがいわゆる「イジュティハードの門の閉鎖である」と。そして、この言説が世界的な通説として普及していく。オリエンタリズムの潮流にあって、学問的営為とは、西側が、西洋的繁栄をゴールとするような単純すぎる発展史観に当てはめることなのであって、たとえばイスラーム法の独自の展開につぶさに目を向けることではない。シャハトのその著作はまさに戦後20年西洋的価値観が世界を席巻した時代が求めていたものでもあったのだ。
しかし、ジョージ・オーウェルが西洋の管理社会を闇を暗示した『1984』。イランやアフガニスタンでは実際に西側に対する抵抗運動が始まった。その年イスラーム法史研究においても、シャハトの世界的通説を根底から覆す痛烈な問題提起の論考が発表される。
閉じたからこそ開けた道
ワーイル・ハッラークの「イジュティハードの門は閉じたのか」である。豊富な原典資料を読み解くことによって、イジュティハードを全権的に担うことのできる多数の「大ムジュタヒド( المجتهد المطلق )」が継続的に登場していたことを指摘。少なくとも16世紀に至るまでは、決してイジュティハードの門は閉鎖されていなかった。
その後、さらに20年がたった2004年。筆者は、シャハトがまったく言及していない、エジプトのアブー・ザフラ、シリアのムスタファー・アッザルカーサルキーニー、ワフバッズハイリー、イラクのアブドゥルカリーム・ザイダーンなど、20世紀を代表するイスラーム一流の学者たちの主要著作にあたった。彼らもまたイジュティハードの門の閉鎖を認めていたのだ。しかしその一方で、ハッラークの指摘を待つまでもなく、彼ら自身もまたイジュティハードがイスラーム法にとって欠くことのできない確固たる地位と役割を本来は持っているのだとする主張していた。
筆者はこの両者を統合する形で、「イジュティハードの門は閉じた、しかしながら閉じたからこそ開いた方法論的な進化の門があると指摘した。グローバル化が不可避とされながらも、イラク戦争は激化をたどり、米国の世界秩序に明らかなほころびが見え始めた年である。
国家と法と神と
それから四半世紀をへて世界は、グローバル化が始まった当初、すぐにでも退場されるとされていた国家というエンティティに振り回されている。大国は大国なりの覇権主義で経済の面でも安全保障の面でも専制的な振舞いを強め、他方、中規模国はそれに翻弄され、小国は存亡の危機に晒される。
地球温暖化による海水面の上昇と格差の広がりが瀕死の人々を飲みこうもしている中、国家なり国家システムの断末魔の悪足掻きだ。
だからこそ、世界のすべての命に最も近いところで直接的に寄り添い、命がこの国家たちのなくてもよい、いまさらながらの争いに巻き込まれ、晒される危険や困難から守る法が発見されなければならない。
イスラーム法は男女を厳格に区別し、信者たちを宗教的義務に縛り付けるように思われがちだ。しかし、その不易不動の源、聖典クルアーンを尋ねれば、人間を一つのナフス( نفس )から創造し(《聖典クルアーン》「高壁章」第189節など)、その一つ一つのナフスは、もしも一つ損なわれれば世界のすべてのナフスが損なわれたのと同じであり、もしも一つ救われれば、世界のすべてのナフスが救われたのと同じだ(《聖典クルアーン》「食卓章」第32節)とする基本的な生命観を持つことがわかる。
もちろん、「真理による( بالحق )」場合は、命が損なわれることも許容する(《聖典クルアーン》「食卓章」第32節)が、「真理による」とは、必ずしも国家のために命が損なわれることではない。国家は人間の創造主ではないからだ。
学的営為の役割
イスラーム学の古典的大著『宗教諸学の復興( إحياء العلوم الدين )』の著者でもあるガザ―リーには、法学理論の集大成である『ムスタスファー( المستصفى )』がある。その中で彼は、詳細にイジュティハード実施の要件を列挙している。まず、イジュティハードの対象。疑いようのない明確な明文(カゥトイー( قطعي )な明文)の示す法規以外で、臆見的( ظني )推論に拠らなければ然るべき法規が導き出せないような事例に限られる。
その際、イジュティハードには2つの条件があるとする。
「シャリーアの目的( مقاصد الشريعة )」の堅持と、法の運用者に対する負担の軽減である。
また彼は野放図な私見によるイジュティハードに対するシャリーアに適った制約の必要性を詳細に論じてはいるが、決して否定論者ではなかった。彼が、もしもイジュティハード否定論者であったのなら、こうした議論を積み上げる必要はなかったはずである。
ましてや、『ムスタスファー』は保守的傾向が強くなったとされる彼の晩年の著作である。そこにおいてもなお、彼はイジュティハードの存続の道を探り続けていたのだ。
それを「ガザ―リーの論理」などといって、門の閉鎖に確証を与えた人物であるかのような解説が罷り通る状況があるのだとすれば、嘆かわしいのは、旧泰然としたオリエンタリズム的思考を無意識に受け入れて、疑うことすらしないその知的行為のタクリード( التقليد:判で押したような先例追従 )的状況である。
イジュティハードの時代へ
国家を神とし、そこにさえ主人と奴隷の関係を持ち出して、植民地支配が継続される一方で、男女の区別さえ、もう一つ上位のカテゴリーから読み直す必要に迫られているのがこの時代である。
こうした状況の中で、真に「カトゥイー」なのは何なのか、一つ一つのナフスに寄り添う法発見とはいかなるものなのか。まさに事例ごとに考慮がされるべき問いではなかろうか。そこでは、聖典の根幹にあたる「ムフカマートゥ( محكمات )」と称される啓示と、それには加えられない、類似的な「ムタシャービハート( متشابهات )」との区別(《クルアーン》「イムラーン家章」第7節)さえ超え、明文それ自体の検討を、日々刻々現れるアッラーの創造の徴し(アーヤートゥ( آيات ) )、生成AIを含めた人類のあらゆる諸科学の成果と諸宗教の叡智とともに俎上に上す聖典解釈の新しい局面が訪れていることは間違いがなさそうだ。
アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)
主要参考文献
奥田敦『イスラーム法における法発見の必要性と必然性:イジュティハードから見たシャリーアという法』2004年(未刊行)。
Special thanks to ChatGPT4o
参考:
ウィキペディア「イジュティハード」
一般的な定義や背景については、上記のような解説もありますが、本稿ではその通説的理解をふまえた上で、やや異なる視点から再考を試みています。
