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砂糖と酩酊状態:「推し活」民主主義の危うさの正体

支持母体は?

「はっきりとしゃべるだけで内容は要らない」。イギリス人ジャーナリストが見た総選挙に勝つ方法。つまり、投票行動が現職総理の「推し活」になっているのだという[1]。解散当初から一部で言われていたことではあるが、これでは、どこぞのアイドルグループの人気投票と変わらない。
国論を二分するような重要なテーマが控えているとされるその選挙が推し活の票で固められたのだとしたら、結果として白紙委任状を渡すようなものになりはしないか。後悔先に立たずを危惧してしまう。
たとえば、基本的人権の砦となり、日本の軍備拡張の防波堤となってきた、しかも、当たり前のことになりすぎているためか、国民の関心はさして高くもない日本国憲法改正への具体的手続きが開始されたとしても、与党が圧倒的な勝利を収めれば、もはや止めることはできなくなるのではないか。それでも、言われているような推し活的人気による結果を、今後長きにわたって甘受しなければならないのか。

前後不覚の祈りなし

投票前に、少しだけ冷静になろう。《聖典クルアーン》に耳を傾けておこう。禁酒の段階的過程の中の初期段階に「酩酊」状態でモスクに入るなという聖句がある[2]。モスク、つまり、祈りを通じて、創造主と向き合う場所である。そこで、酩酊状態での入場が許されるわけがないのは、理解に難くない。何を言っているのか本人にすらわからな状態、つまり弁別能力が完全に失われていたのでは、祈ることができない。
この酩酊状態をアラビア語で「サクラーン سَكران (複数形は:スカーラー سُكارى )」と言うが、実は、「砂糖」と語根を共にしている。「s(س) -k(ك) -r(ر)」である。もとは、「塞ぐ」「閉じる」「占拠する」といった意味。つまり、「理性」が塞がっている状態が「酩酊(サクラーン)」であり、「味覚」を塞ぐもの」が「砂糖(スッカル)」なのである。

酩酊と痺れの間

酩酊が慢性化し、砂糖の取り過ぎが常態化すれば、待ち受ける結果は似たようなものかもしれない。いずれも健康を害して、モスクに出かけることはかなわなくなってしまう。
そうなると、「サクラーン」は、「痺れ( ハディラーン خَدْرَان)」や「麻痺(خُدْرَة)」の状態となり、言語的に見ても別のフェーズに入っていく。しかも、この خدر 系の語はクルアーンには現れない。つまり、啓示に降された「サクラーン」と、啓示にはない「ハディラーン(خَدِرَان (khadrān))」の間には、溝が横たわっている。

訳語の都合上、酩酊と訳し、砂糖と訳してはいるが、両者の共通の記号として、3つの語根から「スクル(سكر)」という言葉を立ててみよう。そうすれば、「サクラーン」は、理性を塞ぎ、あるいは味覚を塞ぐものによって引き起こされている状態と読むことができる。
こうするとクルアーンには、モスクへの入場を禁じられるような、一過性のスクルの中毒状態――それも人間が主体的に塞ぎ遠ざけることができる――が示されていると読めるようになる。

麻薬の危険

ところで、「サクラーン」を英訳すると、「drunk」 となる。まさに酒に飲まれた状態である。ちなみに、アラビア語の「飲む」の受動分詞は、「飲まれるもの」であって、「(酒に)飲まれた」状態ではない。しかも、サクラーン自体が概ね一過性のものであるのに対して、「ドランク」は、常態化への含みを持ちあわせる[3]。したがって、その語感は、むしろ「intoxicated」などに近く「麻痺、中毒、昏倒」へと連なる。
ちなみに、これらの症状を引き起こすものをアラビア語では、「ムハッディル(مُخَدِّر)」と言う。これが、医療用麻酔剤としてではなく、麻薬やドラッグとして用いられてしまうと、「サクラーン」と「ハディラーン」の間にあった溝も、意味を持たない。自分からそちらに向かってしまうのだから。
あくまでも言語レベルの話ではあるが、「サクラーン」という行為者の意志が動かすレベルが設定されているからこそ、戻ることも、踏み込むことも自分に返ってくるようになっているとは言えないであろうか。

甘さという快楽

砂糖について、付け加えれば、アラビア語の「スッカル」という言葉、元はサンスクリット語であるとされるが、フランス語の「シュクレ(sucre)」、英語の「sugar」に繋がっている。こちらの「s-k-r」が、麻痺状態に陥るまでには、時間がかかり、甘いもの自体は、イスラーム的にも見ても禁じられてはおらず、幸福感も得られるため、実は、麻痺していることに気づきにくいかもしれない。
実際、甘いものの誘惑は後を絶たない。咲き誇る花、各種スウィーツ、甘い言葉、甘い誘い、甘すぎる儲け話、甘え、甘えられることの快楽。これは特定の人々の話ではない。私自身もまた気が付くと陥っているかもしれない酩酊のかたちである。
まだある。分かりやすい敵像、快楽的な正義、単純化された物語。これらが、糖衣政治(sugar-coated politics)を暗躍させていないか。そしてわれを忘れられる熱狂的推し活。

雪は止んだ。投票へ行こう。

きっとまだ溝は渡ってはいない。もちろん、投票に際しての話だが、味覚、視覚、聴覚、意識が塞がれていないかを、そしてなにより、この国の将来を決する有権者であることの自覚を、あらためて呼び覚ます機会にしよう。
もちろん、推し活そのものを否定したいわけではない。それが思考停止の代替物になっていないかを、問い直してみたいと思う。アルコールの酩酊状態では、投票用紙の記入はままならないが、糖衣政治に狙い撃ちされた酩酊状態では、それに気づくことすら難しいのだから。
アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。

脚注

[1] ‘How to win an election: speak clearly but say nothing’, "The Sunday Times," 関連記事「英紙が皮肉タップリの記事を掲載「日本で選挙に勝ちたければ『はっきり話して、何も言うな』」」
[2] يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُوا لَا تَقْرَبُوا الصَّلَاةَ وَأَنتُمْ سُكَارَىٰ}
ْ{حَتَّىٰ تَعْلَمُوا مَا تَقُولُونَْ
سورة النساء 4:43
《信仰する者たちよ、酩酊している状態で礼拝に近づくな
自分が何を言っているか分かるようになるまで》「婦人章4:43」
[3] たとえば、”kitchen drunker”は常態化した飲酒者を指す表現。

Special Thanks to: ChatGPT-5.2

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