国益最優先は唯一の選択肢か?
偉大で強い国、強くて豊かな国
強者の陰には弱者がいて、富者の裏には貧者がいる。強者が強者でいられるのは弱者あってのことであり、富者が富者であるのは新たな貧者を探しては、貧者を食らい続けているからである。
地球という惑星の上で、一国だけが強くて豊かな国になることはそれだけ弱者と貧者を生み出すことにほかならず、いくつかの国がその地位を争えば、当然のことながら、この星から争いと無辜の人々の犠牲が絶えることはない。
ある一国の偉大さの野望の代償は、それに巻き込まれたあるいは狙いをつけられた無数の人々の生命と暮らし。これを不条理と言わずして何と言う。しかも、ありえないことにこのありえない戦いに挑み、あるいはそれにつるんで、この幻想をあたかも当然の正義であるかのように扇動する政治的リーダーたち、そしてそれを支持する民衆たち。地球はとっくに悲鳴を上げているというのに。
日本国憲法における国益
「国益(national interest)」とは何か。日本政府にとっての国益とは、「国民の生命・身体・財産の安全を守り、国家の主権と独立・平和を維持・発展させること」とまとめることができそうだ。しかしながら刮目すべきは、国益の具体的内容は、その時々の内閣によって決められうるという点である[1]。
つまり、国益には政権の意向が直接反映されてしまう側面がある。たとえば、アメリカに寄り添うことが国益だと総理が思えば、そうなってしまう。国益が為政者の恣意性に晒されているのは、この国に限った話ではないが。
それともう一点。日本国憲法の文言には、「国益」という言葉がないという点も明記しておきたい。日本国憲法は、個人の幸福追求権は定めても、強い国、豊かな国を作ること国是として明記してはいない。国益の追求より、国民一人一人の基本的人権を守ること。これが揺るがされることがあってはならない大原則なのである。
「インタレスト」と「マスラハ」
前置きが長くなってしまったが、国益および国益最優先について、それらの言葉が連呼されればされるほど、どこか落ち着かなくなるその不安の正体を、アラビア語との対照の中から考えてみたいと思う。
国益を英語で言えば、national interest となる。英語に限らず、欧米諸言語では、それぞれの言語にこの二つの言葉を直せば、それぞれの言語の「国益」になる。interest とは、語源的には、「間に(inter)」「存在する(esse)もの」を意味する[2]。したがって、興味・関心、利益・利害・利子・利息の意味が出てくる。
これに対してアラビア語で国益を「マスラハ・ワタニーヤ( maṣlaḥa waṭaniyya, مصلحة وطنية )」という。「マスラハ( مصلحة )」が、「益」に当たり、「ワタニーヤ」が国家を示す「ワタン(waṭan, وطن)」の形容詞形で、「益」を修飾している[3]。interestとは、語源的なつながりも翻訳によるつながりもない。クルアーンにも登場するアラビア語の言葉である。
「サラハ」という正義
やや専門的になるが、アラビア語も語源からみておこう。「マスラハ」という語は、「サラハ( ṣalaḥa, صلح )」という言葉の派生語としてみることができる。その基本的な意味は、「正しくあること、善良であること、徳が高いこと」[4]。
イスラーム法学の基礎論では、「福利」と訳されることが多い言葉ではあるが、「正義」と訳すこともできる言葉である[5]。しかしながら、「正義」に当たる言葉は、アラビア語でも実に多様で、どういった種類の正義なのかを見極めておく必要がある。
その大きな手掛かりが、「サラハ」が「腐敗」の対義語であるという点である[6]。腐敗と戦いながら、それを正し、腐敗を払拭していく。それが、サラハという正義の根幹であり、マスラハという語形は、それを実践するための手段あるいは場を表わしている。
腐敗の自己肯定
クルアーンの中にも、腐敗を行なう者たちへの言及がある。人前では、アッラーと最後の日を信じると言っておきながら、実際の信者たちを否定し、肯定するのは結局自分たち自身のみというような、心に病を抱えてしまっている者たちについてである。彼らには火獄の懲罰が待ち受けている[7]。
しかしこの世で、彼らは、《地上に腐敗を振りまくなと言われると、私たちは腐敗を排除しようとしているだけですと返してくる。だが彼らは実に腐敗を撒き散らし続けているだけではないのか。それでも彼らは感じない》(《聖典クルアーン「雌牛章」11,12節)と降されている。
現に、現在戦争を積極的に続けているリーダーたちには、腐敗や汚職、得体の知れない金銭の授受などの疑念がついて回ってはいないか。彼らは「自分たちは腐敗を取り除くために戦っている」と自己正当化に余念がないが、それ自体が腐敗であることには気づくことができない。自分が神に成り代わっているのだから気づけるはずもない。
「インタレスト」の最大化
サラハからの派生語の一つに、「スルフ( ṣulḥ, صلح )」がある。「和解」を意味する。互いに和解し、仲直りし、平和を築くことである。イスラーム国際法では、世界を「ダール・ル・イスラーム(dār al-islām, دار الإسلام )」と「ダール・ル・ハルブ(dār al-ḥarb, دار الهرب)」に二分することから始まる[8]が、その中間にあって、平和が保たれている場所を「ダール・ル・スルフ(dār al-ṣulḥ, دار الصلح)」と言う。こちらの「中間」は、利益への関心を掘り起こし場合によっては奪い取るための「中間」ではなく、和解して戦いを止める「中間」なのである。
ところが、和解という言葉があるだけ虚しい現実が繰り広げられてはいないか。国家の最高指導者のみならず主要メンバーを公然と平然と殺害する。身勝手すぎるインタレストの追求である。そして報復と憎悪の連鎖。異物の混入に対する、免疫的アレルギー反応の果てしなき暴走。腐敗を広げているという自覚なき者たちが、煽っているのだから、さらに手に負えない。
いずれにしても、そこには、「サラハ」に紐づいているような正しさも、善良さも、徳もあったものではない。「インタレストの最大化」という腐敗に当のイスラーム教徒たちが、乗っ取られ、サーリフ[9]であることも、スルフとしての和解も忘れて、第3次世界大戦の様相である。
マスラハとしての人類益
イランにしても、対岸のサウジアラビアをはじめとする湾岸諸王国にしても、すべてイスラーム教徒であるはずだが、間に入った者たちにそそのかされ、あるいは踊らされて、ペルシャ湾をはさんで石油・ガス生産の拠点に対する攻撃の応酬が止まらない。本来であれば、マスラハを体現し実践するべきこの地域がこの有り様である。こうした状況にあっては、「腐敗を排除し、互いの和解を進めて平和を実現する」というクルアーンが本来命じている正しさの実践などとてもではないが覚束ない。
しかし、それでも、腐敗に目を瞑り、軍事力を高めて、強くて豊かな国を作るのが国益とする考え方の対極が、「マスラハ」として示されていることには意義がある。
イスラーム法の目的論では、この国益を来世での安寧も含め人類全体の益に広げる「マスラハ・アーンマ(al-maṣlaḥa al-ʿāmma, المصلحة العامة )」[10]という考え方さえある。繰り返しになるが、腐敗の排除と互いの和解をとりあえずこの世で地球大に広げていこうという考え方だ。現在の国際法秩序よりさらに射程は広く、人類全体の益の実現に向けた一つのモデルになりうると考えられる。
無明時代の光
言葉があるということはいつか実現する可能性があるということではあるが、その精神にもっとも近いものの一つが、日本国憲法に体現されている価値観である。「個人の尊重(13条)」「国民主権」「平和主義」。国益よりも個人の尊厳を上位に置き、戦争を放棄し戦力は不保持とする。国際問題の解決に武力を用いない。恣意性にまみれがちないわゆる国益より、一人ひとりの尊厳と基本的人権を重視する。
「マスラハ・アーンマ」の実現の観点からも、この憲法のもつ人類史的意味を否定するような愚行は厳に慎みたいところである。
自分たちだけが偉大で強く豊かな国になれると信じてしまうこと自体が、どれだけの害悪を地球上に振り撒くことか。インタレスト一点張りの国益論に、和解の言葉も、平和への努力も、個人の尊厳の尊重もない。圧倒的な暴力を誇示して言葉を奪い、金と権力にひれ伏せさせようという利得者の傲慢がなせる利益論でもあるからだ。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。
脚注
[1] たとえば、2025年11月28日の高市・トランプ会談において、「私は国益を守り抜くためにも強い日本外交を取り戻す。自由で開かれたインド太平洋の進展に向けても日米で協力を進めたい」「日米同盟の新たな黄金時代をトランプ大統領とつくりたい」との発言がなされた。こうした首脳会談における発言自体に国会承認は不要であるが、外交・安全保障政策として具体化される場合には本来国会の関与が求められる。しかし実際には、発言によって方向性が先行的に提示され、制度がそれに追随する構造が存在する。このことは、国益の名の下に民意からの逸脱が生じうることを示している。これは、国益論が恣意性から離れ得ない一因である。(日本経済新聞「高市首相、トランプ氏と初会談「日米の新たな黄金時代つくりたい」2025年10月28日 10:04(2025年10月28日 16:20更新))
[2] 猪浦道夫(ポリグロット外国語研究所 代表,翻訳家)「 Interest(インタレスト)の語源|金融・経済の英単語」参照。
[3] アラビア語の「ワタン」は、領域性を示す概念。これに対して民族性を示す「カウム」の語もある。国民国家をアラビア語的に解すれば、ワタンとカウムの重なり合いの上に成り立つ国家ということができる。
[4] 『リサーヌ・ル・アラブ』「サラハ」の項」
[5] たとえば、アドル(公平)(ʿadl, عدل)、マアルーフ(公正)(maʿrūf, معروف )、ビッル(孝養)(birr, برّ)、ハイル(善)(khayr, خير )、ハック(真理・権利)(ḥaqq, حقّ )など。
[6] 『リサーヌ・ル・アラブ』「サラハ」の項」
[7] 《聖典クルアーン》「雌牛章」8-10節。
[8] 「ダール・ル・イスラーム」「ダール・ル・ハルブ」およびイスラーム国際法(シヤル)の基本構造については、拙稿「ダール=ル=イスラーム内部の国際法」(1991年)を参照。
[9] 「動詞」サラハの能動分詞が「サーリフ(ṣāliḥ, صالح)」である。《聖典クルアーン》においては、アードの民に使わされた預言者として名前があげられている。アッラーの命令に背いて雌ラクダの腱を切った者たちが大地震に襲われ家の中でひれ伏していたとある(アアラーフ章75-78節)。
[10] 「マスラハ・アーンマ」については、拙稿「イスラーム的市民社会論と「公」の概念」『協働体主義』(田島・山本編、慶應義塾大学出版会、2009年11月5日)、「イスラームにおける法発見と法の目的論」『総合政策学の最先端第3巻』(慶應義塾大学出版会、2003年10月)などを参照のこと。
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一部表記および脚注を修正しました(2026年3月25日)。
