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都内の団地で外国人と仲良くなった「コミュ力抜群おばさん」その1

その1 ネパール人の家に招待されるの巻

これは72歳のワイドさん(都内在住の日本人女性)とアジア人居住者のストーリーです。私たちアジアブリッジでは、愛情を込めて「ワイドのおばさん」と呼んでいます。

東京都には約350万戸の賃貸住宅があるといいますが、そのうち公的な賃貸住宅は約44万戸があります。

公的な賃貸住宅(団地)は戦後の住宅不足の解消に貢献してきました。これらはいわゆる「団地」とよばれた集合住宅ですが、当時のライフスタイルとしてはモダンなものでした。

都市部でも戦後しばらくは、汲み取り式便所、共同炊事場、共同井戸、風呂なしといった生活が続いていたからです。

一方で現代においては、団地は時代の主役ではなくなりました。多くの空き家を埋めるようにしてアジアからの外国人が住むようになりました。そのため、もともと住んでいた住人とのトラブルを抱える団地が出てきました。

そんなトラブルを団地の人たちはどう解決しているのか、アジアブリッジはウォッチを続けています。私たちが注目したのは、都内のA物件に住む自称ワイドさんです。

ワイドさんはここに住んで32年になります。現在72歳です。長年、この団地の変化を見つめてきました。

「2011年の東日本大震災までは10世帯中2世帯ぐらいが中国人中国籍の人が多かったんですが、福島第一原発の放射能汚染を怖がりバーッと出て行きました。空いた部屋にネパール籍の人が入るようになったんです。その後15年の時間の中で、どんどん増え、10世帯中日本人世帯は3世帯になってしまいました。今では10世帯中10世帯が外国人というところもあるんです」

団地はエレベーターなしの5階建てで、階段の左右に1戸ずつ玄関ドアがある構造になっています。「10世帯中10世帯が外国人」というのは、このユニット全員が外国人になった、という意味です。

ワイドさんが住んでいるユニットにもネパール人が住むようになりました。けれども、ワイドさんはあまり怖がりませんでした。あるとき、ネパール人一家の引っ越しに遭遇しました。ベッドを上の階に運ぶのに大変そうにしていました。生まれたばかりの赤ちゃんもいます。

「手伝いましょうか?」と言ってこの引っ越しを手伝ったことから、この一家と仲良くなりました。

ある日、このネパール人一家のお父さんに「ネパールの家庭料理食べたことがありますか」と聞かれ、ワイドさんは家に招かれました。2022年冬のことでした。

「上の階の自宅にいくと、絨毯が引いてあって、私はそこに胡坐(あぐら)をかいて座らされました。日本とは違って正座じゃないんですね。それから、料理は手で食べました。日本人はお皿を持って食べますが、ネパールでは持ってはいけないということも知りました」

まさに目から鱗が落ちる異文化体験でした。しかも、出されたのはキールというスイーツで、8時間もかけて作ったお汁粉のような「ミルク粥」でした。

「これは冠婚葬祭になくてはならない食べ物で、ネパールではこれを満足に作れないとお嫁にいけないんです」(ネパール人のお父さん)

ワイドさんはそんなことも教えてもらいました。

ワイドさんの性格は前向きでオープン。好奇心に満ちていて、コミュ力(こみゅりょく)も抜群です。でも昭和の時代には、そんな「明るいおばさん」が近所にふつうにいました。

〝多文化共生うんぬん〟以上に、ワイドさんの「コミュ力」は、ご本人の生活それ自体もどんどん豊かなものにしています。
(つづく)