見出し画像

エビヌマ物語。海老沼寿夫と昭和の背中11


第13話


富士ゼロックスという巨人


─ 昭和のOA革命、その向こう側


1970年代。

日本のオフィスは、大きな転換期を迎えていた。

富士ゼロックスが生み出したゼログラフィー技術の特許が切れ、リコー、キヤノン、小西六(現コニカミノルタ)、三田工業、シャープ、東芝など、多くのメーカーが普通紙複写機市場へ一斉に参入する。

いわゆる「OA(Office Automation)」時代の幕開けである。

コピー機は、その中心にあった。



当時、霞が関や大企業では、富士ゼロックスが圧倒的な存在感を持っていた。

「コピーを取る」を、

「ゼロックスしてきて」

と言う人も少なくなかった。

それほどまでに、「ゼロックス」という名前は、コピーそのものの代名詞だったのである。

しかし、その一方で、日本にはもう一つの巨大な市場があった。

中小企業である。

事業所数では圧倒的多数を占めるこの市場にもOA化の波が押し寄せ、各メーカーは激しい競争を繰り広げることになる。

まさに群雄割拠。

コピー機業界の戦国時代だった。



前章でも触れたように、エビヌマは当初リコーとの結び付きが強かった。

その後、キヤノンの取り扱いが飛躍的に伸び、当時としては珍しいリコー・キヤノンの併売店となっていく。

メーカー各社は販売網を広げるため、一次店、代理店、販売店といった流通網を整備し、自社系列を強めていった。

街にはメーカーの看板を掲げた販売店が次々と現れた。

しかし、エビヌマは違った。

海老沼寿夫社長は、メーカー色の強い会社になることを嫌った。

店にも会社にも、メーカーの看板は掲げない。

エビヌマは、エビヌマとして地域のお客様に向き合う。

それが海老沼社長の流儀だった。



その姿勢を象徴する出来事がある。

1980年代半ばの正月だったと思う。

キヤノン販売の担当営業と上司が、新年の挨拶に来社した。

挨拶を終えると、代理店向けのメッセージを読み上げ、最後には社歌なのか社訓なのか、そんなものまで唱え始めた。

その様子を見ていた海老沼社長は、穏やかに言った。

「それは、もういいよ。」

後日、その時のことを社長は僕に話してくれた。

「メーカーが流通の上に立つような、ああいう空気は好きじゃないんだ。」

メーカーは大切な取引先である。

しかし、お客様と向き合うのはエビヌマだ。

メーカーの信用を借りるのではない。

エビヌマ自身の信用で商売をする。

それが、海老沼寿夫という商人だった。



その考え方は、会社づくりにも表れていた。

エビヌマは早くからCTS(コピー・テクニカル・サービス)という自前のメンテナンス部門を立ち上げ、販売だけでなく保守や修理、消耗品の供給まで自社で担う体制を築いていた。

リコー。

キヤノン。

シャープ。

三田工業。

メーカーは違っても、お客様の窓口はエビヌマ。

地域密着を掲げる海老沼社長にとって、それは譲れない考えだった。

1980年代には約一〇〇〇台のコピー機を保守するまでになり、民間企業だけでなく、地域の都立高校や墨田区役所、その出先機関まで支えていた。



そんな頃、一つの出会いが訪れる。

富士ゼロックスオフィスサプライ。

通称「エフコス」。

コピー用紙やファクス用紙、OHPフィルムなどを扱う富士ゼロックスのグループ会社だった。

ほぼ同じ頃、販売会社である東京ゼロックスとの交流も始まる。

この両社の「特約店」となり、

ここから、エビヌマと富士ゼロックスグループとの関係が、少しずつ動き始める。



実は、この頃の富士ゼロックスにも事情があった。

コピー機の元祖でありながら、中小型機市場ではリコーやキヤノンに後れを取り、直販だけでは全国の中小企業へ十分に届かなくなっていた。

そこで富士ゼロックスは、新しい戦略を打ち出す。

地域を代表する企業と手を組み、各地に販売会社を設立していったのである。

東京では富士ゼロックスと講談社が株主となって「東京ゼロックス」が出来た。

富士ゼロックスの販売会社は、このようにー

大阪ではサントリー。

千葉ではキッコーマン。

静岡では鈴与。

宮城ではカメイ。

北海道では伊藤組土建。

いずれも、その土地を代表する企業ばかりだった。






そんな富士ゼロックスグループが、なぜエビヌマに関心を寄せたのか。

今振り返れば、不思議なことではない。

メーカーの色が少ない、ブランドや看板ではなく、自分たちの商圏で勝負する。

そして、メーカーと販売店という関係ではなく、一緒に地域のお客様を支えるという考え方。

事務機や文具の業界全般にも明るく、理知的論理性を兼ね備えている…

そんな商人が、墨田にいた。

海老沼寿夫である。

ゼロックス関係の人たちから、

「あの人はすごい。」

「事務機業界で、ああいう人はなかなかいない。」

「あの感性は、私たちも学びたい。」

そんな言葉を聞いたことが、一度や二度ではなかった。

海老沼社長には、人を惹きつける不思議な力があった。

会えば分かる。

話せば惹かれる。

そして、付き合いが深くなるほど、その人柄に魅了されていく。



富士ゼロックスオフィスサプライ東京支店長だった上野さんが、こんな話をした。

海老沼社長は、こう言ったという。

「私たちを見るのではなく、私たちと一緒に、お客様を見てほしい。」

そして、さらに続けた。

「エビヌマを、お客様にしないでください。
パートナーとして、一緒に仕事をしましょう。」

この言葉こそ、海老沼寿夫という商人を最もよく表していると思う。

メーカーと販売店。

売る側と買う側。

そんな上下の関係ではない。

同じお客様のために知恵を出し合い、価値をつくる仲間でありたい。

海老沼社長が求めていたのは、そんな関係だった。

だからこそ、富士ゼロックスグループの人たちも、海老沼寿夫という一流の商人の姿に惹かれていったのではないだろうか。








やがて、富士ゼロックスとエビヌマは、深いビジネスパートナーとなっていく。
東京ゼロックスの特約店となり、富士ゼロックスオフィスサプライの特約店となった。

しかし、それは単にリコーやキヤノンを切り替えるという話ではなかった。

既存のお客様を奪い合うのではなく、新しい市場へ向かうための、新しい武器を持つこと。

そして、若手営業を中心としたゼロックス販売チームが結成され、東京ゼロックスの足立さんが育成役としてエビヌマへやって来る。

ここから、エビヌマは「ゼロックス流」の営業と出会っていく。

そして

時は1980年代末…

「昭和」は終わりを告げる

その話は、また次回に──。

いいなと思ったら応援しよう!

あしょじ よろしければ支援。応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!

この記事は noteマネー にピックアップされました

noteマネーのバナー