わたしが少女時代に受けたネグレクト
わたしが中学1年のときに父が再々婚し、継母は初婚でわたしと3つ下の妹に「妹か弟が欲しいか?」尋ねられた。わたしたちは「いらない」と答えてしまった。
その継母は優秀な女性で商業高校で簿記を教え、たしか生花やお琴の書道や合気道などの師範を持つ才気溢れる女性で、わたしたち姉妹は新しい母に慣れることに必死だったし、それまで父親と離れて暮らしていた時間を取り戻したかったし親子関係を築くのに精一杯だった。わたしたちが求めていたのは温もりや安らぎであったけど、継母は母というより先生という存在できっちりしていたから、正直馴染むのが難しかった。
しばらくして継母が妊娠、堕胎してしまったことを知った。父はその頃起業し始めていた。きっと父は子を欲しなかったのだろう。
そこから継母は不安定になり、わたしたちの関係は徐々に悪くなり父と継母は仕事に追われていることを理由に毎日わたしと妹に顔を合わせることなく、食事は別々に摂り、わたしたちには作りおきで白身魚のフライやおでんがよく置かれていた。(この二つは大人になってしばらくはみるのも嫌だったけど、今では大丈夫だしむしろ好きな食材になった。)父からの愛情も全く感じられなかった。
わたしたちは苦しかった。妹は中学生になると学校でも馴染めていなかったようで「死にたい」とまでわたしに漏らした。わたしたち姉妹をずっと陰ながら支えていたのは亡くなった母方の祖父母だった。こっそりわたしたちは祖父母に電話して窮状を訴えては時々近くまで足を運んで何か美味しくて栄養になるものをご馳走してくれたり、父母から貰えないお小遣いを時に与えてくれた。そのおかげで高校生の頃、たまに友だちと息抜きしたり一度も行ったことがなかった美容院に髪を切りに行くことが出来た。
父と継母は面白いはずもなかったがわたしたち姉妹は祖父母を求めた。何回か親戚が寄り集まり、破談になったこともあったが4人で暮らし始めて6年、ネグレクトが激しくなって3〜4年くらいたって距離を置くのが一番ということになり、ようやく父と継母と離れて母方の祖父母の家に落ち着いた。
祖父母はわたしが進学したい気持ちに応えてどうにか受験させてもらい短大に進学、妹は公立高校の受験に間に合わず私立高校に進学、美大に行くための、予備校やそのごの美大進学の費用も祖父母が捻出してくれた。
父は、自営が軌道に乗るまで時間がかかりその当時わたしの大学進学も許さなかったし、逆に祖父母に「本当なら就職して家にお金を入れるはずだったから金をよこせ」とまでいい祖父母を呆れさせた。わたしたち姉妹はそこまでがっかりさせられた父とは別れたかった。妹は「おじいちゃんとおばあちゃんの子になりたい」といった。わたしも賛同した。祖父母はそこまで考えてもいなかったが養子縁組を申し出てくれた。父は捨て台詞のように「せいせいした」と言ってきた。
わたしたち姉妹は晴れて祖父母の養子となった。
その後しばらく時が過ぎ、わたしが結婚と離婚、そして新たなパートナーと結婚して息子を授かり4、5歳になった頃、20年近く過ぎただろう頃に父の仕事はすっかり軌道にのり、住まいを役所で調べてわたしのもとに1年に1回くらい唐突に訪ねてくるようになった。その頃はまだ自分のしたことを何も悪いと思ってない父を赦せなかったし、疎ましく思っていた。
2回目の離婚をしてシングルマザーになったあとも転居先を調べて訪ねてきた。
居留守をつかうこともあった。
フラワーエッセンスを使って自分に向き合う時間が増えてきて、いつまでも父から逃げて忌々しい過去に蓋をしていても自分にとっていいことはない、と思い始めた。
ある時、訪ねてきた父に「あなたは年賀状ひとつよこさない。」と言われたとき、わたしは自分の気持ちを吐き出した。
わたしと妹がどんなに辛い思いをしたか。
そうしたらすっきりした。
父は記憶を都合の良いように覚えていて、そのときはしょうがなかったと自分を正当化するし、いつまで経っても上から目線だ。そのたびにわたしや妹がきっと思っているだろう思いを伝えている。
いつだったか父はようやく「あなたたちがそう思っていたならすまなかった」という言葉をくちにした。
子どもにとっては自分が受けた傷が全てだ。親の言い訳は何の癒しにもならない。
人により同じ景色でもみてる世界、真実はそれぞれ違うこともよくわかった。
30年近くなってそのときの記憶や赦せない気持ちが薄くなってきた頃考えた。
いつまでも過去に囚われて父が亡くなったら自分はその気持ちを死ぬまで抱えて生きていかないといけない…自分も歳を重ねてきて自分もまた人を傷つけてきた。そんな自分が赦せないでいたからこそ、父のことを赦すことでそんな自分も赦すことができるかもしれない。(父やわたしを含めて)完璧な人などいないし、でこぼこがあるのが人生なのではないかと。そうしたら、生きることが少し楽になった。
ある時、父は財布のなかにしのばせていた産まれたばかりのわたしの写真と妹の写真を見せてくれた。
今でも父に対してこの歳でこんなこと言うのかとか、思っているのかと浅はかさに時折り、えっ?と耳を疑うようなことがあるけれど、そこにツッコミを入れられるほど強くなったし、父も人間だからしかたない不器用だけど娘に対する愛情もあるだろうからと。ようやく思えるようになってきた。
これがフラワーエッセンスで自分の内奥をみつめる醍醐味であり、自らに変容をもたらしてくれる癒しだ。おかげで自分も一皮も二皮もむけたし魂の器が広く深くなったのではないかと思っている。ここに至るにはエッセンスを人生の伴走者とする故ホワード七歩子さんの教えとそのスピリットに賛同する仲間と学び合い、経験を語り合えたからこそだと思う。良い仲間に巡り会えた。そしてこれからそれぞれの魂の導きに従って人生を歩んで行くだろう。
最後に最近手にとる聖書の一節より
人の過ちを赦すならあなた方の天の父もあなた方を赦してくださる。しかし、あなた方が人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちを赦してくださらない。
(「マタイによる福音書」6・14-15)
