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指導者という舞台に立つ ー 人を育てる喜びとの出会い -指導者編①-

「関野のおかげだわ」

思いがけない言葉が、17歳の私の心を震わせた。

神奈川県立秦野高校水泳部。特に強豪でもない公立高校で、私はある同級生の指導に関わっていた。最初は戸惑いもあった。同級生を指導するなんて生意気なことではないか。でも、彼の真摯な姿勢に、私も本気で向き合わざるを得なかった。

練習メニューを組み、筋トレを紹介し、フォームの修正を重ねていく。時には厳しい言葉をかけることもあった。でも彼は、そのたびに真剣な眼差しで諦めず、私の言葉に耳を傾けてくれた。

そして迎えた大会の日。

彼が泳ぎ終わった瞬間、電光掲示板に映し出された数字に、思わず声が出た。

「やった!」

ベストタイム更新。それも、予想以上の記録だった。

プールサイドに上がってきた彼の顔が、今でも鮮明に思い出せる。歓喜の表情で駆け寄ってきた彼が、私に投げかけた言葉。

「関野のおかげだわ」

その一言が、私の人生を変えることになった。

競技で結果を出すことも、もちろん大きな喜びだ。でも、人を育てることの喜びは、それとはまた違う深い充実感があった。

この話は受験の面接で何度も語る、私のコアエピソードとなった️。


舞台の幕が上がる ー 指導者としての挑戦

「再来週から実際の指導に入ってもらいます」

入学からわずか1ヶ月。水泳指導者になるため、東京YMCA社会体育・保育専門学校での新生活が始まったばかりだった私に、突然の宣告が下された。

スポーツ指導者養成の名門として知られるYMCA。そこでの学びは、私の想像をはるかに超えるものだった。

最初に入ったクラスは、小学校〜中学生までの育成水泳クラス。これまでアルバイトでの指導経験はあったものの、今回は全く違う現場。勝手も雰囲気も、すべてが新鮮で、そして不安だった。

特に大きな壁となったのは、私自身の性格だった。

人見知りでシャイ。子どもとのコミュニケーションにも苦手意識があった。プールサイドに立つたび、緊張と不安で声がこもってしまう。

「本当にこんな指導でいいのだろうか」

そんな不安が、常につきまとっていた。

専門学校ではこの他にも様々な環境で実習を行った。そしていつものように緊張しながら子どもの前に立った時、ふと気づいた。

「理想の指導者を目指すのではなく、理想像を演じればいいんだ」

それは、まるで一つの役を演じるように、理想の指導者像を表現するということ。完璧を求めるのではなく、まずは形から入る。

この「演じる」という発想は、私の中で大きな転換点となった。

理想像に近づこうとするあまり、自分を追い込んでしまう人は少なくない。でも、それを一つの役として捉えれば、気持ちの余裕が生まれる。まるで役者のように、その場面に必要な「指導者」を演じていく。

この考え方は、後の人生でも何度も私を救うことになる。

次第に子どもたちとの距離も縮まっていった。

最初は話しかけてくれる子と積極的に会話を重ね、そこから少しずつ輪を広げていく。相手の興味や好きな話題を探り、話しやすいタイミングを見計らう。

こうして子どもたちの懐に入っていくことに成功した。

知識という土台

「身体を知らずにスポーツは語れない」

水泳指導者になるためのYMCAでの学びは、私の想像をはるかに超えるものだった。

解剖学、生理学、スポーツ科学。それまで水泳という一つの世界しか知らなかった私の前に、新しい扉が次々と開かれていく。

最初は戸惑いもあった。なぜ水泳指導に、これほど多くの知識が必要なのか。実技さえできれば、教えることもできるのではないか。

しかし、その考えは大きな間違いだった。

人体の構造を知ることで、動きの本質が見えてくる。生理学を学ぶことで、トレーニングの効果や限界が理解できる。スポーツ科学の知見は、効率的な上達への道筋を示してくれる。

それは、まるでパズルのピースが一つずつ埋まっていくような感覚だった。

「なるほど、だからこの動きが効果的なんだ」
「これが、上手く教えられない原因だったのか」

指導の現場で感じていた様々な疑問が、理論的な裏付けを得て、明確な答えとなっていく。

資格取得のための勉強は、時に骨の折れるものだった。しかし、その過程で得た知識は、その後の指導者人生で何度も私を助けることになる。

知識の深化 - 「スポーツは科学だ」

専門学校でスポーツの幅広さ、奥深さを知った私は、更なる専門性を求めて鹿児島県鹿屋市にある国立で唯一の名門体育大学「鹿屋体育大学」へ第3年次編入学。

YMCAで学んだ基礎知識は、鹿屋体育大学でより専門的な領域へと深化していく。

基礎から応用へ。その学びの広がりは、私の日常生活すべてを変えていった。

スポーツ栄養学の授業で学んだ知識は、その日のうちにスーパーでの夕飯の献立作りに活かされる。
運動生理学での発見は、その日の午後のトレーニングに即座に組み込まれていく。

理論と実践の距離が、どんどん近づいていく感覚。それは、指導者としての自信にもつながっていった。

YMCAで培った基礎知識の上に、大学・大学院でのより専門的な応用知識が積み重なっていく。それは、まるで家の基礎の上に、新しい層が一つずつ築かれていくような感覚だった。

そんな中で、衝撃的な言葉との出会いがあった。

スポーツは科学だ

その言葉は、まるで稲妻のように私の心を貫いた。

1972年ミュンヘンオリンピック100m平泳ぎ金メダリスト・田口信教先生との運命的な出会い。誠に勝手ながら、先生が活躍した、昭和真っ只中の時代のスポーツは、気合と根性が全てで成り立っていると思っていた。しかし、そんな時代からすでに科学的なアプローチを提唱していた先生。その先見性に、私は衝撃を受けた。

中学生の頃に英語の国際ルールブックを読破し、ルールの隙をついて新しい泳ぎ方を考案。これが今の平泳ぎのキックの元となっている「田口キック」だ。世界の頂点を制した先生の話は、どれも示唆に富んでいた。

しかし、それ以上に私の心を揺さぶったのは、先生の「陰徳」の教えだった。

「人知れず善行を積む」

一見、科学的なアプローチとは相反するように思えるこの考え方。でも、先生の中では、それが見事に調和していた。

科学的な裏付けがあってこその練習。そして、その努力を支える精神性としての「陰徳」の考え方。この両輪があってこそ、真の強さは生まれる。

この気づきは、その後の私の指導哲学の重要な柱となっていく。

「陰徳あれば必ず陽報あり」
人知れずよいことを行う者には、必ず目に見えてよいことが返ってくる。陰徳陽報。

淮南子 (えなんじ) 」人間訓から

理論と実践の融合

鹿屋での4年間は、私にとって貴重な指導実験の場でもあった。
このセルフコーチングが、人生で最も深い指導経験のひとつかもしれない。

自らが実験台となり、日々試行錯誤を重ねる。様々な理論を実践し、その効果を検証する。その過程で、大きな発見があった。

感覚は生モノである

スポーツにおける「感覚」は、パフォーマンスを左右する重要な要素。しかし、それは極めて捉えどころのないもの。

今「これだ!」と掴んだ感覚も、次の瞬間には消えてしまう。だからこそ、その瞬間の感覚を言語化し、記録することの重要性に気づいた。
練習中に感覚のひらめきやコツに気づいたら、すぐに一旦プールから上がり、プールサイドのノートに自分の言葉で書き記した。

この気づきは、後の指導現場でも大きな意味を持つことになる。

選手たちにも、「感覚の言語化」を促す。良い感覚をつかんだ瞬間、それを自分の言葉で表現し、記録に残す。それが、確実な成長への近道となる。

どんなスポーツでもビジネスの場面でも、気づきの定着を促したい人はぜひ取り入れてみてほしい。

科学的アプローチの重要性 - スポーツ指導の問題点

「選手を育てるのに、そんなに難しい理論は必要ないんじゃないか」

よく耳にする言葉だ。実際、日本のスポーツ界では指導者になるために特別な免許や資格は必要ない。

「選手上がり」と呼ばれる元選手たちが、自身の経験をもとに指導する。それが、当たり前となっている。

一見、それは理にかなっているように思える。実績のある選手が、その経験を次世代に伝える。その中で、「気合」や「根性」といった精神面も鍛えられる。

しかし、私はそれに反対だ。
それで本当にいいのだろうか?

「きつければ良い」
「苦しい練習なら良い」
「先代から代々受け継いできたから良い」

そんな思い込みによる指導が、どれだけの選手たちの可能性を潰してきただろうか。

特に危険なのは、トップ選手の練習方法やトレーニングを、その本質を理解せずに真似させてしまうケース。雑誌やネット、SNSで配信されたトップ選手の練習方法を、形だけ真似る「情報マウント取りたがりのエセ指導者」が後を絶たない。

しかし、練習メニューは万人共通ではない。基本中の基本である「トレーニングの3原理・5原則」に基づけば、それは明らかだ。初級者・中級者が上級者と同じ練習メニューを行っても、最大限の効果は得られない。

それどころか、骨格や筋力、関節可動域は個人差が大きい。トップ選手のフォームを単純に真似ても、身体が違う人間に同じ効率性は望めない。むしろ、怪我やパフォーマンス低下のリスクすら伴う。

確かにそれで結果を残せた選手もいるだろう。
でも、それはおそらく指導の影響ではなく、その子のポテンシャルがたまたま高かかっただけという例がほとんどである。

もちろん、科学的アプローチだけが絶対的な答えではない。論文や実験で科学的に証明されていることが、必ずしも現場レベルで通用するとは限らない。

だからこそ、理論と実践のバランスが重要になる。科学的な理論を、いかに現場にアジャストするか。その発想力と実践力が、これからの指導者には求められる。

私自身、プレイヤーとしてある程度のレベルまで到達し、人一倍のトライアンドエラーを重ねてきた。その経験は確かに貴重だ。しかし、その経験だけを頼りに指導することは決してない。

科学的根拠に基づいた理論の中から、最適なものを選び、組み合わせる。そして実践を通じて、常にその効果を検証する。

これこそが「スポーツ指導」である。

指導者としての覚悟

YMCAでの実習から始まり、様々な現場での経験を重ねる中で、私は指導者としての軸を見つけていった。

相手を知ること。これは大人・子どもに限らず、すべての指導、すべてのコミュニケーションの基本だ。個々の特性を理解し、それぞれに合った接し方を見つけていく。

科学的アプローチと「陰徳」の精神。一見相反するように思えるこの二つの要素を、バランスよく融合させていく。

そして、「演じる」という考え方。これは単なる技術ではなく、自己成長のための重要なツールとなった。

人見知りだった私が、多くの人々と関わり、指導者として成長していく。その過程で学んだことは、すべての人間関係、すべての仕事に通じる普遍的な価値を持っていた。

新たな章への突入

高校時代、一人の同級生との出会いから始まった指導者としての旅。

それは今も続いている。

理論と実践。科学と哲学。相反するように見えるものの融合。そして何より、一人一人の可能性を信じ、その成長を支える喜び。

指導者という舞台で、私はまだまだ成長を続けている。

この旅に、決して終わりはない。 むしろ、いつも気付けば、また新たな始まりの連続だ。

ということで、ここまで長きに渡り読んでくれてありがとうございます。
この内容良かった!よく書いたなぁ!など思っていただけたら「スキ❤️」と「フォロー✅」、「シェア♻️」、「チップ💙」で応援していただければ嬉しいです…!

また、これからも読者の皆さんに役立てるような発信をしていきたいので、「コメント欄」に質問や気になるエピソードを入力して教えてください!

それではまた次回お会いしましょう!
またね〜

フィンスイミングスペシャリスト
足ひれ社長 関野 義秀

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