気象予報士になりたいわけじゃないけど、天気図を読んでいる
前回の自己紹介的なノートに、スキをいくつかもらえました。
ありがたいです。
少しずつでも、書き始めたものが誰かのところに届いているのだと思うと、
それだけで次のノートを書く理由になります。
最近、気象予報士試験の勉強をしています。
なぜか。
別に、気象予報士になりたいわけではありません。
仕事で絶対に必要というわけでもありません。
ただ、なんとなく気になっている。
でも、この「なんとなく」はけっこう侮れないものだと思っています。
実は3年前にも、一度勉強したことがあります。
息子の育休中で、少し時間がありました。
その時も、理由はだいたい同じです。
なんとなく面白そう。
じゃあ、やってみるか。
それで勉強して、試験も受けてみました。
もちろん落ちました。
そこから、しばらく完全に止まっていました。
本当に何もしていない。
気象予報士試験のことも、天気図のことも、ほぼ生活から消えていました。
でも、芸術修士を取ってから、
なぜか急に、
理系の勉強がしたい。
という気持ちが出てきました。
なんでなんだろう。
自分でも、まだよくわかっていません。
芸術をやったから、今度は理系。
右に行ったから、今度は左。感覚を使ったから、今度は構造。
そういう反動なのかもしれません。
でも、完全に別物という感じでもありません。
むしろ最近は、芸術と理系は、思っていたより近いところにあるのではないかと思っています。
3年ぶりに気象の勉強を再開してみたら、意外と少し覚えていました。
もちろん忘れていることも山ほどあります。
気圧配置とか、前線とか、雲とか、台風とか、
「あー、あったあった」となるものもあれば、
「これ初めて見たんかな?」くらい綺麗に消えているものもある。
記憶は不思議です。残るものは残るし、消えるものは本当に消える。
普通なら、基礎からちゃんとやるのだと思います。
テキストを開いて、大気の構造を復習して、熱力学をやって、法規をやって、それから過去問。
たぶん、それが正しい。
でも今の私は、いきなり過去問をやっています。
しかも実技試験から。
順番としては、かなり飛ばしています。
でも、これが面白い。
実技試験は、丸暗記だけではいけません。
もちろん知識はいる。
天気図の見方もいる。
専門用語もいる。
でも、それだけでは解けない。
実技試験は、なんというか、
ストーリーを読む試験
なのだと思います。
問題文がある。
地上天気図がある。
高層天気図がある。
レーダーや衛星画像がある。
時系列の資料がある。
それらをただバラバラに見るんじゃなくて、
「この空気はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」
「この低気圧は、今どういう段階にいるのか」
「この雨は、なぜここで強まっているのか」
そういう流れを読む。

天気図って、ただの記号の集まりじゃなくて、空の出来事が順番に並んだ物語なのかもしれない。
たぶん、問題を作っている人にも意図があります。
ただ知識を聞きたいだけではない。この資料を見せる。
次にこの問いを置く。そのあとに、この判断をさせる。
そういう流れがある。
だから解く側も、「この問題は、何を見てほしいのだろう」と考える。
この問いを投げかけてきた意図は何か。
どこに気づいてほしいのか。
どの現象を、どうつなげてほしいのか。
そう考えながら解くと、急に楽しくなります。
これは、芸術修士を取ったことで身についた感覚なのかもしれません。
作品を見る時も、
ただ「綺麗」とか「よくわからない」で終わらせない。
なぜこの形なのか。
なぜこの順番なのか。
なぜここに余白があるのか。
なぜこの素材を使っているのか。
そういうことを考える。作り手の意図を想像する。
同時に、自分の見方も疑う。
その訓練をしてきたからなのか、
気象の実技問題も、少し作品のように見えてくることがあります。
もちろん、天気図は作品ではありません。現実の大気を記号にしたものです。
そこには命に関わる情報もある。
雨、風、雪、雷、台風。
災害につながることもある。
だから軽く扱っていいものではありません。
でも、だからこそ余計に、そこには人間が自然を読み取ろうとしてきた知恵が詰まっている気がします。
線を引く。
記号にする。
色を分ける。
時間の変化を追う。
見えない空気の動きを、見えるものに変換する。
これは、とてもすごいことだと思います。
普段、天気予報を見る時は、
だいたい数字だけ見ている。
今日の天気。
最高気温。
最低気温。
降水確率。
風の強さ。
傘がいるかどうか。
服装をどうするか。
もちろん、それで十分な場面は多い。生活にはそれが必要です。
でも、その裏側には、もっと大きな流れがある。
低気圧が発達している。
前線が停滞している。
暖かく湿った空気が入っている。
上空に寒気が流れ込んでいる。
そういうものが重なって、今日の「雨が降るかもしれない」になっている。
そう考えると、
天気予報は、ただの情報ではないのだと思います。
空の出来事を、人間の生活に翻訳している。
巨大な大気の動きを、
「今日は傘を持っていった方がいいですよ」という言葉に変えている。
これは、けっこうすごいことです。
ものすごく大きな自然現象を、生活のサイズまで小さくして渡してくれている。
その間に、観測があって、解析があって、予測があって、判断がある。
しかも、それを毎日やっている。
最近は、天気予報を見る時の感覚も少し変わりました。
気温だ。天気だ。降水確率だ。
それだけではなくて、その裏にある天気図が気になってきます。
なぜ今日はこうなるのか。
昨日から何が変わったのか。
この雲はどこから来たのか。
この雨は、どんな流れの中で降っているのか。
そういうことを考えると、ただの天気予報が、少し立体的に見えてきます。
勉強は、たぶん資格を取るためだけのものではありません。
もちろん、資格を取れたら嬉しい。
試験に受かったら、かなり嬉しいと思います。
でも、それだけだと続かない気もします。
少なくとも私の場合は、「資格のために頑張るぞ」
だけでは、たぶんどこかで飽きてしまう。
でも、
世界の見え方が少し変わる
と思うと、続けられる気がします。
天気図を読めるようになると、空を見る目が変わる。
ニュースを見る目が変わる。
朝、窓を開けた時の風の感じが変わる。
そういう変化の方が、今は面白いです。
だから今のところ、
気象予報士になりたいわけではない。
でも、気象予報士試験の勉強はしたい。
この矛盾しているような感じが、けっこう自分らしい気もします。
目的がはっきりしている勉強も大事。
仕事に直結する勉強も大事。
でも、なんとなく気になるからやってみる勉強も、かなり大事です。
むしろ、あとから効いてくるのは、
こういう「なんとなく」の方だったりする。
天気図を見ていると、
空にも流れがあるのだなと思います。
当たり前のことなのですが。
晴れも雨も、突然そこに現れるわけではない。
前の日があって、その前の日があって、
遠くの海があって、上空の風があって、
いろんなものがつながって、今の天気になる。
人間の生活も、たぶん同じです。
今やっている「なんとなく」も、どこかで別の何かにつながっていくのかもしれない。
今はまだ、よくわかりません。
天気予報は、アートなのかもしれない。そんなことを思いながら、
今日も天気図を眺めている。
この勉強も、資格のためだけではなく、
世界の見方を少し変えるための記録として、続けてみたいと思っています。
