祈る人、祈れない私—杭州・霊隠寺
中国・杭州の有名な古刹、霊隠寺。
観光地? いや、信仰の聖地? どっちなんだろう、ここは。
静寂を期待して足を運んだ私は、あまりの熱気にクラクラした。
その名のとおり、「霊」が「隠れる」森のなかの寺。
そんな神秘的な空気を想像していたのに、実際の境内は、線香と祈りと人の気迫でいっぱいだった。
もうね、ほとんど縁日みたい。
あちこちから立ち上がる線香の煙に包まれながら
そうか、ここは「本気のお願い」をする場所なんだ、と気がついた。

霊隠寺は、4世紀に開かれたという。
長い歴史をもち、宋や元の時代につくられた石仏彫刻もあちこちに残されている。
人がいなければ、文化財としての重みもじゅうぶん感じられるのに、
境内の空気はどこか現代的で、即物的ですらある。
歴史に想いを馳せる静寂を期待しすぎていた私たちは、そのにぎわいに、ちょっとうんざりしてしまった。
さらに戸惑ったのは、この寺が、まるで“お願いのステージ”をいくつも備えた祈りのテーマパークのようだったこと。
境内にはいくつものお堂があり、それぞれに祀られている仏が違う。
叶えてくれる願いのジャンルも、どうやら微妙に違うらしい。
たとえば、巨大な釈迦牟尼仏が鎮座する大雄宝殿は、人生全般に向き合う人たちの祈りの場。
人気の観音殿には、恋愛や家庭、人間関係といった生活に直結した願いが集まる。
薬師殿では健康や病気平癒、華厳殿では学問成就。
祈る人たちの真剣な姿を前に、私はなんだかすこし引いてしまった。
神さまに頭を下げるその後ろ姿を、どこか演目のような気持ちで見つめていた。
「本当に効くのか…?」なんて思ってしまって。
日本の神社やお寺でも、願いごとはする。
よく考えれば、日本だって似たような寺はあるのだろうけど、
だいたい、初詣やお守りなんかも、どこか“ついで”の延長みたいな感覚だった。
ここは違う。
何かにすがる、というより、何かをつかみにいくような気迫があって、
そういう祈りの熱の“生々しさ”を感じた。
そんな祈る人たちを、じっと見ているだけで興味深い。
きっと私も、いざ切実な願いを抱えていたなら、煙のなかに並んでいたのかもしれないのだけど。
祈る理由が、たまたまないだけなのだろうけど。

彼は、未来にやってくる仏、弥勒の化身だそう。
岩肌や洞窟内に、さまざまな石仏が刻まれている。

山全体が削りやすい石灰岩でできており、仏教彫刻向いている。
2004年10月
