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育児中の読書日記|『ハンチバック』

「ハンチバック」ってどんな意味だろう。深く考えず読み始める。
本文中で「せむし」に振られる「ハンチバック」のルビを見て不意に頭に思い浮かんだのは、背中の曲がった老人男性の絵。どことなく童話っぽいタッチで描かれている。
これは、何の絵?

「せむし」は確か高校生の頃、電子辞書に入っていた青空文庫を読んでいる時(もちろん関係の無い授業中)に初めて見た言葉ーー『黒死館殺人事件』だったかな。
分からない言葉は、手の中の辞書で調べれば良い。高校生の私は読書を中断し、検索する。
検索結果として表示された文字を読みながら、その姿をぼんやり想像した。
そう、その時のイメージの記憶だ。多分、日本三大奇書とも言われるあの作風に、だいぶ引っ張られている。

意識を、30代になった自分の手元に戻す。
せむしハンチバックの怪物」の文字を通じて、30代の私が想像していた主人公の姿と、高校生の私が想像した絵とを結びつけようとする。

結果的に像を結ぶのは、自分の鈍さだけで、欠如した想像力を居た堪れなく感じる。
こんなに決まりの悪い思いをするのに、文庫版に収録された往復書簡まで含めた読後感は良く、作者の痛快な言葉選びと表現力に唸る。


『ハンチバック』 作 市川沙央

【あらすじ】
井沢釈華(しゃか)の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。
両親が終の棲家として遺したグループホームの、十畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。
ところがある日、グループホームのヘルパー・田中に、Twitterのアカウントを知られていることが発覚し——。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917122

第169回芥川賞受賞作。
作者である市川さんの、受賞時の記者会見での様子を、多分ニュースで見て知った作品。
冒頭を読み始めた時の「え、これがあの芥川受賞作であってる?」と思わず表紙を確認してしまう、驚き。
読了後に振り返れば、私は無意識に受賞時の作者の姿を浮かべつつ冒頭部分ーー主人公・釈華の書くTL小説部分との違和感を覚えており、それこそが私の持つ先入観だと思い知らされる。

…「障害者は無性化された存在である」とキーボードを打つと、一瞬、とても気持ちがいい。こういう言葉を使うと頭が良くなった気がする。(中略)だからもっと複雑なことを複雑なまま伝えられる小説という表現手段が、私にはあっているのかもしれません。

文庫版収録「荒井裕樹⇔市川沙央 往復書簡」より

居た堪れなさはそれだけに止まらない。
本文中、読書することに肉体的な制約のある主人公は「読書文化のマチズモを憎んで」いる。

紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しをくゆらせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義マチズモですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。

文庫版P.32-33

己の視野の狭さを糾弾された気持ちになる。
男性優位主義的な強権性と訳される「マチズモ」を、無自覚に振りかざしていることに気付かされる。

この「健常者優位主義マチズモ」の表記について、作者は「往復書簡」内でこう語る。

ところで、健常者優位主義のルビは本来ならエイブリズムとするべきところを、わざとマチズモとした私の底意は想定以上の効果を発揮しながら読者の皆様に刺さりにいっているみたいで、実のところ私は今うろたえています。(中略)うろたえつつも、至らぬばかりの拙作において唯一会心の出来と言える箇所はやはりそこなのだろうと思います。

文庫版収録「荒井裕樹⇔市川沙央 往復書簡」より

この上品な、けれど鋭利で痛快な言い回しが癖になる。許された気になり、また読み返しては突き放されたようにも思う。
面白かった。そう簡単に言うことに、気まずさを覚えながら。

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