第28記|いちばん大切なものを、あえて手放した
心にぽっかり穴が空く、
そう思っていた。
物心がついた頃、
その遥か前から、
大好きだったものがある。
「革張りの黒いソファ」だ。
古いアルバムの中に、
何度も映り込んできた。
最初は実家のリビングにあった。
当時の両親にしてはかなりの高級品。
きっと、新婚生活の喜びを
形にしたかったのだろう。
自然と家族が集まる場所に。
あまりの座り心地の良さに、
下校すると自分の部屋には戻らず、
彼とリビングで過ごしていた。
そこから、彼は私の部屋にやってきた。
リビングには一回り大きいものを。
初めての受験。
初めての彼女。
初めての失恋。
そういった全てを共に過ごした彼は、
もはや無くてはならない存在だった。
就職が決まり、
初めての一人暮らし。
彼が置けるかどうかで物件を決めた。
28年間。
ふと思った。
自分はソファが無いと生きていけない。
裏を返せば、
ソファに依存している。
この依存が続く限り、
遠くには行けないような気がしていた。
私にとってこれは、
ただの家具ではない。
親元を離れたのに、
どこか自立できていない感覚。
そろそろ、大人になろう。
いちばん大切なものは、
いちばん囚われているものでもある。
気持ちに迷いが生じないうちに、
やっぱりやめようなんて思う前に、
検索の1番上に出てきた業者に連絡を入れた。
そして今日。
私の部屋はいつもよりずいぶんと広い。
ぽっかり空いたスペースを見て、
心にも穴が空いてしまう。
そう思っていたが、
心はスーッと軽くなっていた。
あんなに無くてはならないと、
感じていたものも、
手放してみると、大丈夫だった。
それどころか少し、ワクワクしている。
広くなった部屋には、
あたらしくデスクと椅子を置いてみた。
今までごろごろしていた時間は、
創作活動や読書に。
なくなっても、
私はちゃんと、私のままだった。
さあ、次は何をしよう。
2026.2.26、16:32
ある男。
