2025.03.04
相変わらずな毎日の中、今日は、”オートマチック”なサービスなんて可能なのかと、頭がぐるぐるしている。
先月から、県で実施されている「初級パラスポーツ指導員養成講習会」に参加させていただいており、そのことが契機と思われる。
そもそも、その講習会へ申し込んだのは、所属しているスポーツ推進委員のグループLineに、募集案内が再度流れてれてきたからだった。「参加者が足りないのかな」くらいの軽い気持ちで。
そして、申込書に、資格や指導経験などの記入欄があり、不穏な気配を感じることになる。私で大丈夫か、、、、
実技を含めた計22.5hのプログラムが、2月・3月の土曜日を使って開催されている。全4回のうち、残すは、あと1回。
まず、まったく初級と思えない面々が受講されていることに圧倒された。
講義を受けるごとに、自分がどれだけ「障がい」ということを、一纏めにして捉えていたかを思い知らされている。
ここで、話が前回に戻るが、ボランティアなどを運営する手法としての”人海戦術”について。
人海戦術という言葉は、小学校の登下校の見守りについて自治会の方と話し合いをしていたときに伺い、初めて自分事として捉えるようになった。
そもそも学区ではなかった新興地域の新築のマンションだったので、通学路の設定から取り組まないといけなかった。
熱心な保護者の方々が、大きな交差点への歩道橋の設置や、スクールバスの配置などを要望していた。
私も、「もし可能なら、、、、」という淡い期待があったと思う。
保護者でもなく、地元の方でもないその自治会の方が、根気強く対応してくださって、「結局は、人海戦術が有効なんです。」とボソッとおっしゃっていたのが印象的で、私はその一言で何だか分からないが納得したのを覚えている。
その後も、民生委員をされたり、ずっと地域のために活動してくださっている。私は、その背中を、離れたところでお見かけするばかり。
ここで、サービスとしての”人海戦術”について。
宇多田ヒカルの”オートマチック”の概念は、”ちょうどいい”とか”必要不可欠”のようなものだと思っている。
以前、公正の概念を表す挿絵が旧ツイッターに流れてきたことがあるが、それは、大人から子どもまで、塀から中をみるために必要な足台の高さを適応させるというものだった。
それも近いが、”オートマチック”なサービスがあるとすれば、『ビッグ・オーとの出会い』(作・絵: シェル・シルヴァスタイン)のような調和円のイメージだ思う。
同じ人間でも、その日によって体調も置かれている状況も違っている。
それでも調和する球体。
いや、見えない調和円を想定する”オートマチック”。
もしかすると、ただただ”思いやり”だったりするのかもしれない。
