2025.03.07
前回に続き、”オートマチック”なサービスの続き。
コミュニケーションとして捉えてみる。
以前、こちらのnote記事↓に書いたのは、私がコミュニケーションと聞いて、想起するイメージだ。
生たまごの遠投。高度なキャッチボール。
生たまごの投げつけというと、意味が違ってくる。
ウィキペディアでは、抗議行動の戦術にカテゴライズされている。
無関心ではないという意味では、これも一方通行ではあっても、コミュニケーションの一つといえるのではないだろうか。
相手が投げている、もしくは(無意識でも)投げたがっている生たまごを、どんな風に力加減を調和させて、そのままの形で受け止められるか。
一人では無理でも、複数で立体的な球体に受け止められたなら。
人間とも自然とも環境とも時代とも、調和した球体。
そんな”オートマチック”な術(ジュツ、わざ、すべ)、あったらいいな。
