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メロスはなぜ走ったのかー太宰治と”信じる痛み”について

ひさしぶりに『走れメロス』を読んだ。

子どもの頃に一度読んでいるはずなのに、
ストーリーがうっすらとしか頭に残っていない。

なんとなく記憶しているのは、友情の物語。
親友のために走る。約束を守る。正義は勝つ。
そんなまっすぐでわかりやすい話なのかと思っていた気がする。

でも、大人になった今読むと、まったく違って見えた。

この物語の中心にあるのは、友情の美しさだけじゃない。
もっと切実な、もっと痛みを含んだものだと思った。

それは「人を信じる」ということの苦しさだ。

メロスは、とてもまっすぐな人だ。
でも、ただ立派な人という感じではない。
怒るし、極端だし、不器用だし、
感情で突っ走るところもある。
決して完成された人間ではないと思う。

だからこそ、私は惹かれた。

人を信じる人というのは、
いつも穏やかで、賢くて、強い人とは限らない。
むしろ傷つきやすくて、不器用で、必死な人なのかもしれない。
メロスの走る姿には、そんな人間らしさがあった。

王は、人を信じていない。
裏切りや猜疑の中で、もう誰も信用できなくなっている。
ストーリーをなぞるだけだと、王はただ冷酷な人だ。
でも、今の私から見ると、王は「人を信じられなくなった人」に見える。

人を信じた結果、傷ついたのかもしれない。
期待した結果、裏切られてきたのかもしれない。
だからもう、信じるくらいなら最初から疑っていたほうがましだと、
そう思ってしまった人。

どこかで見たことのある心だと思った。

人は、傷つくと信じられなくなる。
信じないほうが安全だと思う。
期待しないほうが楽だと思う。
その気持は、すごくよくわかる。

でも、同時に、
人はやっぱり、ほんとうは信じたいのではないか、
と私は思う。

メロスと王は、正反対のようでいて、実は少し似ている。
一方は、人を信じようとする人。
もう一方は、人を信じられなくなった人。
けれどどちらも、本当は人間に絶望したくなかったのではないか。
私はそんなふうに感じた。

そして、この物語を書いた太宰治のことも考えた。

太宰治は、人間の弱さや醜さや、どうしようもない揺れをたくさん書いた人だ。
きっと、人を簡単には信じられなかった人でもあると思う。
でもそんな太宰が、『走れメロス』では完全な絶望を書かなかった。

人は裏切る。
人は弱い。
人は醜い。
たぶん太宰は、それはよく知っていた。

それでもなお、
「でも、信じたい」
という願いを、この物語に託したのかもしれない。

私はこの作品を読みながら、自分の心とも重ねていた。

私は本当は、人を信じたい。
心からつながりたい。
あたたかいものを信じていたい。

でも同時に、信じすぎて傷ついてしまう自分も知っている。
信じたぶんだけ苦しくなることも知っている。
だから、信じたいのに、怖い。
近づきたいのに、傷つくのが怖い。
その揺れを、私はずっと抱えてきた気がする。

そして私は、信じたいというより、
たぶんずっと信じてしまう人なのだと思う。

疑うことで自分を守るより、
信じることで傷ついてきた。
何度も、何度も。

それでもなお、心のどこかで
人を信じることを諦めきれない。

その愚かさのようなものを、
私は嫌いのなれない。

たぶん私は、
誰かの中にあるあたたかさを見つけたいのだと思う。
その人の中の、まだ死んでいない何かを信じたいのだと思う。

だからメロスの姿は、
ただ美しいだけではなかった。
どこか祈るようで、必死で、痛々しくて、でも尊かった。

メロスは、完璧だから胸を打つのではない。
弱さがあるのに、迷いがあるのに、揺れるのに。
それでも走るから胸を打つのだと思う。

私はそこに、自分の心を見た。

信じることは、キレイゴトではない。
裏切られるかもしれないのに、差し出すことだ。
傷つくかもしれないのに、それでも相手の中の何かを信じようとすることだ。

それは、強さというより、
もしかしたら人間の切実な願いなのかもしれない。

信じることは、立派なことというより、
祈りに近い。
どうかこの世界に、
まだ信じられるものがありますように、と願うことに近い。

『走れメロス』は、友情の物語として読むこともできる。
でも今の私には、それ以上に
「人はもう一度、人を信じることができるのか」
という問いの物語に思えた。

そしてその問いは、物語の中だけでは終わらない。
いまの私自身の心にも、静かに向けられている。

私はこれからも、
信じることに傷つくかもしれない。
もうやめないと思う日もあるかもしれない。
人を信じるのが嫌になる日も、きっとある。

それでも私は、
完全に閉じた人間にはなりたくないと思っている。

傷ついたことがあるからこそ、
疑うことの簡単さも知っている。
信じないことの安全さも知っている。
でも、その安全の中だけにいたら、
きっと私は、私のままではいられない。

だからまた、懲りずに信じてしまうのだと思う。

それは弱さなのかもしれない。
愚かさなのかもしれない。
でも私は、その自分を、
もう前ほど嫌いではない。

メロスの走る姿を見ながら、
私は自分の中の
「それでも信じたい心」を見ていた。

それはとても危うくて、
傷つきやすくて、
どうしようもなく不器用だ。

でも、だからこそ人間らしい。
だからこそ、尊いのかもしれない。

『走れメロス』を読んで私は、
信じることは美しいだけではなく、
痛みを引き受けることでもあるのだと思った。

そしてそれでもあの信じたいと思ってしまう心を、
私は否定したくないと思った。

たとえそれが、
少し愚かに見えるとしても。


Aru.

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