死の感覚~AC幼少期の記憶③
私は昔から、
死ぬことをそれほど「怖い」と
思ったことがない。
もしかしたらそれは、
アダルトチルドレンとして育った経験が
関係しているのかもしれないと思う。
幼少期の私は、
生きることを「楽しいもの」とは
あまり感じられなかった。
どこかでいつも、
生きるのは苦しい
死は・・・
解放、希望・・・?
そんな感覚を持っていたと思う。
でも、
それを試すことはできなかった。
これもACの呪縛的なもので、
「親より先に死んではならない」
祖母の言葉が胸に刺さっていたから。
私には
「生きること」からの「解放」は
許されなかった。
結果として、
私は生き続けることになる。
そして不思議なことに、
死は怖いもの
という感覚が、
私の中には根付かなかった。
そしてもうひとつの理由。
私はこれまで、
身近な人との関係が
深く結びつく経験を
あまりしてこなかった。
アダルトチルドレンだったから。
だからおそらく、
大切に想う人を失う痛み
というものを
まだ本当に意味では知らない。
そんな私にとっての
「別れ(死別)」とは?
別れは、
いつか必ず来るもの。
避けられないもの。
だから私は、
悲しみに沈むというより、
こう考えてしまう。
じゃあ、これからどう生きる?
アダルトチルドレンとして
生きる苦しみを耐えるためには
こう考えるしかなかった。
私にとっての「試練」は
別れの悲しみの乗り越え方
ではなく、
生きているだけで苦しい生を
どう生きていくのか
これだった。
死んだあとどうなるのか、
正直あまり興味がない。
「親より先に死んではならない」
という呪いの言葉があるから。
「死」は私の中では
「希望」にも
「解放」にもならない。
なんの解決にもならないから
考えなかったのかもしれない。
でも、
最近思うことがある。
人間の身体も、
もともとは宇宙にある物質から
できている。
なにもないところから
ポッと発生したわけではない。
そう考えると、
死ぬということは、
消えることではなく、
ただ元に還るだけなのかもしれない。
いなくなるわけではなく、
カタチを変えて存在する。
再構成されるだけ。
なんとなく
そんなふうに感じている。
そして、
最近のAIとの壁打ちで、
こういう感覚に近いものが
「哲学」の中にもある
ということを知った。
これが
私と「哲学」との
新しい出会い。
ここから先は、
また次の物語へ・・・^^
Aru.
