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大切だからこそ、代わってあげられない

今週は、彼との関係でも娘とのことでも、
「大切だからこそ代わってあげたいのに、代われない」
そのもどかしさを何度も引き受けた一週間だった。

彼のことでは、私はずっと揺れていた。

傷ついたし、ショックも受けた。
どうしてそんなふうに線を引くのだろう、と思ったし、
そのくせ完全には離れず、あいさつは送ってくる彼のチグハグさにも戸惑った。

私にできることがあるならしたい。
今のこの曖昧な関係のまま固まってしまうのは嫌だ。
そう思うのに、彼の心の中に入って、
彼の怖さや不器用さを代わりにほどいてあげることはできない。

結局できるのは、
私から無理に会話は始めないこと、
でも閉じきらず、写真を送りたいときは送ること。
あとは、そのきっかけを彼がどう使うかを見ることだけだった。

娘のこともそうだった。

新学期初日は学校に行けた。
教室には入れなくても、適応教室でお昼まで過ごせた。
よかった、と心から思った。

でも次の日は行けなかった。
入学式の日も欠席した。
学校も支援の場も、周りはできることをしてくれている。
私もやれることはやっている。
それでも最後は、本人の気持ちの問題なのだと痛感する。

親の私が代わってあげられるものならどんなにいいだろうと思う。
苦しみも不安も、少しでも引き受けてあげられたらと思う。
でも、学校へ行くのも、そこに向き合うのも、娘自身にしかできない。

彼もそうで、娘もそうだった。

大切な相手ほど、こちらは代わってあげたくなる。
何かしてあげたくなる。
苦しそうにしていたら、こちらが動けばどうにかなる気がしてしまう。

でも実際には、人の心のいちばん深いところは、その人にしか動かせない。
こちらができるのは、環境を整えたり、扉を閉めずにいたり、
戻ってこられる場所であろうとすることくらいだ。

それはとても無力に感じる。
何もしていないみたいで、ただ立ち尽くしているような気持ちになる。
見守ることは、動くことよりずっと簡単に見えて、実はとても苦しい。

今週の私は、その苦しさを何度も受け止めていたのだと思う。

彼の関係でも、娘とのことでも、
私が代わることのできないものの前で、
見守るしかないもどかしさを何度も受け止めていた。

でも、もしかしたらこれは、
ただの無力さではないのかもしれない。

代わってあげられないことを受け入れるのは、突き放すことではない。
その人の人生を、その人のものとして尊重することでもあるのだと思う。

私は助けたい。
支えたい。
代われるものなら代わりたい。

それでも代われない。

その現実は苦しいけれど、
相手を本当にひとりの人として見るというのは、
その「代われなさ」を引き受けることなのかもしれない。

今週の私は、たぶんそのことを学んでいた。

大切だからこそ、代わってあげられない。
大切だからこそ、見守るしかない場面がある。
そのもどかしさの中で、それでも相手を思い続けること。

今週は、そんな一週間だった。

Aru.


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