回避される苦しさの中で、自分の軸を置く
人との関係の中で、いちばん苦しいことのひとつは、
相手の気持ちが見えなくなることかもしれない。
さっきまで繋がっていたはずなのに、
急に距離を感じたり、
言葉が冷たくなったり、
触れられたくないような空気が流れたりする。
そういうとき、こちらの心は大きく揺れる。
何か悪いことをしたのだろうか。
嫌われたのだろうか。
もう気持ちはないのだろうか。
答えがもらえないまま考え続ける時間は、
それだけで人をすり減らす。
以前の私は、相手が離れそうになるたびに、
その理由を探そうとしていた。
どこで間違えたのか、
何を言えば元に戻るのか、
どうしたら安心してもらえるのか。
でも、そうやって相手の反応ばかりを見続けていると、
気づかないうちに、自分の軸がどんどん外れていく。
相手が穏やかなら私も安心して、
相手が冷たければ私も崩れる。
相手の態度ひとつで、自分の心の位置まで決まってしまう。
それはとても苦しいことだった。
もちろん、大切な人の反応に心が動くのは自然なことだと思う。
好きだからこそ気になるし、
繋がっていたいからこそ、不安にもなる。
でも、そこで相手だけを見続けると、
私は私の気持ちを見失ってしまう。
だから最近は、少しずつ意識を戻すようにしている。
相手がどう思っているかではなく、
今の私はどうしたいのか。
私はどこまでなら心を開けるのか。
どこから先は、自分を守ったほうがいいのか。
そうやって、自分の内側に軸を置き直す。
これは、相手を見捨てることではない。
冷たくなることでも、
愛をやめることでもない。
ただ、相手の揺れに自分まで飲み込まれないようにすること。
相手の不安や回避に、
自分の存在価値まで巻き込まれないようにすること。
私はそれを、
自分の軸を置く、ということなのだと思っている。
相手が離れたがるとき、
こちらは追いかけたくなる。
ちゃんと話したくなるし、
誤解を解きたくなるし、
繋がっていることを確かめたくもなる。
でも、そこで必死に追うほど、
かえって自分が苦しくなることもある。
なぜなら、相手の心は相手のものだから。
どれだけこちらが真剣でも、
相手が向き合える状態でなければ、
こちらの想いだけで関係を整えることはできない。
その現実を受け入れるのは、
とても切ない。
でも同時に、それは自分を守るために必要なことでもある。
自分の軸を置くというのは、
「どうせわかってもらえない」と諦めることではない。
「もうどうでもいい」と投げることでもない。
揺れながらも、自分を失わないこと。
苦しくても、相手の反応だけで自分の価値を決めないこと。
そして、自分の心が壊れそうなときには、
ちゃんと自分の側に戻ってくること。
たぶん私は、
それを少しずつ覚え始めている。
回避される苦しさは、たしかにある。
見えなくなる心に不安になるのも、自然なことだと思う。
それでも私は、
相手の態度に振り回され続けるのではなく、
自分の足元に立っていたい。
誰かを大切に思うことと、
自分を見失うことは、同じではない。
愛しているからこそ、
自分の軸を置く。
今はそんなふうに思っている。
Aru.
