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愛されているかより、愛したい自分でいたかった

昨日、私は本当は彼に確認したかった。
今も私を愛しているのか。
気持ちはまだあるのか。
あの言葉は本心だったのか。

でも、書こうとしてやめた。
途中まで打って、消した。

それはたぶん、確かめたかったからだと思う。
不安だったし、怖かったし、安心したかった。
本当は「大丈夫だよ」と言って欲しかった。

だけど、その確認は少し違う気がした。
彼が私を愛しているかどうかを問いただすことは、
どこかで彼を疑うことにもつながる気がしたから。

私は、信じたかった。
彼の言葉が揺れることがあっても、
態度が不器用に見えることがあっても、
その奥にあるものを、簡単に疑いたくなかった。

それに、もっと大事なことがある気がした。

彼が私を愛しているかどうか。
それももちろん苦しいほど気になる。
でも、それ以上に、
私は彼を愛したいと思っている。

そこを見失いたくなかった。

愛されていると確認できたら安心する。
でも、その安心だけを求めはじめると、
愛は少しずつ「受け取りたいもの」ばかりになってしまう気がする。

私が本当に大切にしたいのは、
愛されている証拠を集めることではなく、
自分がどんな気持ちで彼を見つめたいか、ということだった。

不安がないわけではない。
揺れないわけでもない。
本当は何度も確かめたくなる。

それでも、そんな自分ごと抱えながら、
私は「それでも愛したい」と思う自分でいたかった。

相手の気持ちがはっきり見えないとき、
人はつい答えを求めたくなる。
白か黒か、好きかそうじゃないか、
終わるのか続くのか。

でも、人の心はそんなに単純じゃない。
愛しているからこそ揺れることもあるし、
大事だからこそ不器用になることもある。

だから私は、
その揺れをすぐに裁くにではなく、
まず自分の気持ちを見ようと思った。

私はどうしたいのか。
彼に何を証明してほしいのか。
本当に欲しいものは何なのか。

そうやって見ていくと、
最後に残ったのは、
「愛されているか知りたい」よりも、
「私はちゃんと愛したい」という気持ちだった。

それは、相手にすべてを差し出すこととは少し違う。
ただ苦しくても耐えることでもない。

自分の心をごまかさず、
相手を責めることだけに流されず、
それでもなお、自分の中にある愛を大事にすること。

私は昨日、
彼の気持ちを確認する言葉を消した。

そのことは、弱さではなく、
少しだけ自分の愛を
信じられた瞬間だったのかもしれない。

愛されているかより、
愛したい自分でいたかった。

昨日の私は、
たしかにそう思っていた。


Aru.

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