「私はいま傷ついた」と言えるようになるまで
ずっと私は、
傷ついたことを
なかったことにするのが得意だった、
らしい。
相手にも事情がある。
悪気はなかったのかもしれない。
私の受け取り方が悪かったのかもしれない。
これくらいで傷つく私は、弱いのかもしれない。
そうやって、相手の正しさや事情を先に考えて、
自分の痛みを後回しにしてきた。
でも最近、ふと思った。
相手が正しいことと、
私が傷ついたことは、
まったく別の話なのだと。
相手に悪気がなかったとしても、
相手にも事情があったとしても、
その言葉や態度で
私の心が痛んだのなら、
まずはその痛みを
私自身が認めてあげてよかった。
「私はいま傷ついた」
たったそれだけの言葉を、
私はずいぶん長いあいだ
自分に言わせてこなかったのかもしれない。
傷ついたと認めることは、
相手を責めることではない。
怒りをぶつけることでも、
関係を壊すことでも、
自分を被害者にすることでもない。
ただ、
自分の心に起きたことを
ちゃんと見てあげること。
「痛かったね」
「苦しかったね」
「ほんとうは悲しかったんだね」
そうやって、
自分の心のそばに戻ってくること。
私はこれまで、
誰かを理解しようとするあまり、
自分の痛みを置き去りにしてきた。
相手の弱さを見つけると、
受けとめなきゃと思った。
相手の不器用さを知ると、
わかってあげなきゃと思った。
相手が傷ついた人なら、
私が責めてはいけないと思った。
でも、
誰かを理解することと、
自分が傷ついたことを消すことは違う。
相手を大切にすることと、
自分を我慢させることも違う。
私はきっと、
優しさの使い方を
少し間違えていたのだと思う。
誰かの痛みに寄り添う前に、
まず自分の痛みに気づいてあげること。
誰かの事情を考える前に、
まず自分の心がどう感じたのかを
聞いてあげること。
それはわがままではなく、
自分を守るために
必要なことだった。
「私はいま傷ついた」
この言葉を自分に許したとき、
不思議と心の中に
少しだけ静けさが戻ってきた。
傷ついたことを認めると、
もっと苦しくなると思っていた。
でもほんとうは逆だった。
認めてもらえなかった痛みが、
ずっと心の奥で暴れていたのだと思う。
悲しかったのに、
悲しくないふりをした。
怒っていたのに、
怒ってはいけないと思った。
傷ついたのに、
これくらい大丈夫だと
自分に言い聞かせた。
そのたびに私は、
相手ではなく、
自分自身を少しずつ裏切っていたのかもしれない。
だからこれからは、
まず自分の心に戻りたい。
誰かの言葉に傷ついたとき。
誰かの態度に寂しくなったとき。
誰かの正しさの前で、
自分の痛みを飲み込みそうになったとき。
私は、自分にこう言ってあげたい。
私はいま傷ついた。
相手の正しさと、私の痛みは別。
まず自分の心を守る。
それえができてからでいい。
相手を理解するのは。
話し合うのは。
許すかどうかを考えるのは。
これからどうするかを決めるのは。
まずは、
私が私の味方でいること。
それができないまま誰かを愛そうとすると、
愛はいつのまにか
我慢や犠牲に変わってしまう。
私はもう、
自分を置き去りにしたまま
誰かを大切にすることを
愛とは呼びたくない。
傷つくことは、弱さではない。
傷ついたと認めることは、
自分を大切にするための
最初の勇気なんだと思う。
私はこれから、
少しずつ練習していきたい。
誰かの顔色を見る前に、
自分の心を見ること。
誰かを守る前に、
自分を守ること。
誰かを理解する前に、
自分の痛みに
ちゃんと気づいてあげること。
「私はいま傷ついた」
その一言から、
私はもう一度、
自分のそばに帰っていく。
Aru.
