娘の不登校が教えてくれたこと
去年の秋頃から
娘が学校に行かなくなった。
その前あたりから
週明けにときどき休むことがあり。
少し疲れが溜まってるのかな。
何日か休めばまた行けるよね。
そんなふうに
わりと前向きに考えていた。
「不登校」という言葉が
我が家にもやってくるなんて
思いもしていなかった。
でも、しばらく休んでも
なかなか調子が戻らない。
体調面には問題はないのに、
朝、着替えて登校しようとすると
玄関から一歩も外に出れず
固まってしまう娘。
なにかがおかしい。
思っていたのと少し違うのかも。
その日から、
今日現在もまだ
娘は教室へは登校できていない。
娘の不登校を通して、
家庭が子どもへ与える影響の大きさ
を改めて感じている。
家庭環境。
夫婦関係。
親子の関係。
それらが子どもに与える影響は、
思っていた以上に大きい。
もっと子どもと話せばよかったのか。
もっと本音を言いやすい環境を
作れたんじゃないか。
子どもが子どもとして
安心していられる場所を、
私はちゃんと作れていただろうか。
そんなことを、
よく考えるようになった。
娘とはもともと
共通の趣味が多くて
よく話をしていた。
だから、
不登校になったあとも
会話がなくなることはなかった。
むしろ以前よりも、
娘の心の深い部分を
少しずつ聞けるようになっている気がする。
娘自身も、
不登校になったあと、
毎日長い時間一緒に話しながら
自分でも気づかなかった想いが
少しずつ言葉にして
外に出てきたと感じているらしい。
もちろん、
ぶつかることもある。
今はお互いに
素直に、正直に、
本音を絞り出しながら
話しているから。
意見が合わないこともあるし、
ふれてほしくない部分もある。
話しながら
親として戸惑うこともある。
言わなきゃいけないけど
今は言わないほうがいいのか。
いや、
今だからこそ言うべきなのか。
でも、最近は
少しずつ思うようになった。
子どもの大きく揺れる心を
寄り添い一緒に受けとめることも
親の役目なんだろうなと。
これまでも、
頭ではわかっていたつもり。
子どもの話を聞くこと。
子どもの気持ちを尊重すること。
でも、
ちゃんとできてはいなかったのかも。
実際にその場に立ってみないと
本当の意味ではわからないこともある。
体験しないと、
体で感じないとわからないこともある。
そういうものなんだと痛感している。
娘の不登校を通して、
私自身の考え方も大きく変わった。
子育てのこと。
親としての自分の在り方。
人生の見つめ方。
本当にいろいろなことを
これまで以上によく
考えるようになった。
そして、不思議なことだけど、
視界が以前より大きく
開けたような感覚がある。
これまで見えていなかったことが
少しずつ見えるようになってきた気がする。
だからこそ、
これまでの反省点もよく見えてくる。
あのとき、
もう少しこうしていたら。
あれも学んでみたい。
これも知りたい。
そんな気持ちが
たくさん湧いてくる。
そしてもうひとつ。
私には息子もいる。
息子のことにも、
もっともっと
関心を寄せようと思ったこと。
同じ「子ども」でも、
娘と息子は違う人間。
まったく違う性質を持っている。
だから
「子どもたち」としてではなく、
「私と娘」
「私と息子」
それぞれに
一対一の関係として
しっかり向き合っていきたい。
娘の不登校は、
決して簡単な問題ではない。
今も答えが出ているわけではなく、
これからどうなるかもわからない。
でも、
この出来事は
私と娘にたくさんのことを
考えさせてくれた。
親であること
子どもと向き合うこと。
対話の大切さ。
自分と向き合うこと。
そして、
人生とは。
今はまだ
その途上。
この経験を通して学んでいることを
大切にしながら
これからも子どもたちと向き合い続けて
いきたいと思っている。
不登校の娘を持つ
親の心模様など
これから少しずつ
書いていこうと思っています^^
Aru.
