ブルーノ・シュルツを考える
ブルーノ・シュルツを考える

ブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz, 1892-1942)は、ユダヤ系の出自を持ち、終生ポーランドの辺境の小都市ドロホブィチを離れることなく、作家と画家の二つの貌を持って創作活動を展開した。彼の文学作品、すなわち短編集『肉桂色の店』や『砂時計サナトリウム』は、しばしば「幻想文学」の系譜や、プラハの作家カフカとの主題的な類似性から論じられてきた。しかし、その真の創造的特異性は、彼の作品が提示する倒錯的でグロテスクなヴィジョンが、単なる内面の表出ではなく、世界を認識し、再創造するための厳密な「形式」として機能している点に見出されるべきである。
シュルツの創作の中心をなすモチーフ


シュルツの創作の中心をなすモチーフの一つが、父の変身であり、もう一つが、画業において集中的に展開された「女性の偶像化と男性の卑屈な崇拝」である。版画集『偶像賛美の書』には、高慢な女王や偶像として描かれた女性の足元に、卑屈な態度でひれ伏す男性や小人の姿が執拗に繰り返される。この支配と服従の関係性は、シュルツの世界観における根源的なヒエラルキー(階層構造)を象徴している。
この倒錯的構造を、創作の形式論的視点から解釈するアプローチは、シュルツ芸術の本質に迫る鍵となる。マゾヒズムの語源となったザッヘル=マゾッホの小説『毛皮を着たヴィーナス』の分析を通じて導かれる結論は、支配・服従の構図が、単なる主題ではなく、現実を支配する「創造のプロトコル」として適用された、シュルツ独自の試みであったという点である。
マゾッホの主人公ゼヴェリンが、契約という「形式」を用いて自らを奴隷に位置づけ、ヴァンダを女王へと仕立て上げる儀式的な演出は、シュルツにおいても、女性を「絶対的な幻想リアリティを体現する偶像」として舞台に上げ、男性をその崇拝者とすることで、世界を新たなヒエラルキーのもとに再構成する「形而上学的な身振り」として転用されているのである。
形而上学的な身振り
この「形而上学的な身振り」は、彼の文学においても、日常の風景や人物が神話的な出来事に変貌するプロセスと呼応する。父の変身は、無機物や生命の根源的な力が現実の表皮を突き破って現れる様であり、それは世界を既存の法則から解き放ち、自らの「創造主(デミウルゴス)的な意志」によって秩序づけ直す行為にほかならない。
また、彼の版画で用いられた技法、クリシェ・ヴェール(ガラス版画)もこの形式性を補強する。ガラス板に図像を刻み、それを感光紙に焼き付けるという孤独で特殊なプロセスは、自己の内的なヴィジョンを、外界の干渉から切り離された厳密な儀式を通じて「印画」するという、シュルツの制作態度を象徴している。

シュルツの生きた時代は


シュルツの生きた時代は、故郷ドロホブィチがオーストリア=ハンガリー帝国からポーランド、ソ連、そしてナチス・ドイツへと目まぐるしく支配権が移り変わる激動期であった。最終的に彼自身がホロコーストの犠牲となったことを鑑みれば、彼の作品に見られる「偶像」への絶対的服従と、世界を再創造しようとする切実な衝動は、現実の混乱と不安定さに対する、芸術家による切実な対抗行為であったと解釈できる。シュルツは、形式化された「身振り」によって、崩壊する現実の外側に、永遠不変の「神話的な時間」を刻み込もうとしたのである。
参考文献:
・ブル-ノ・シュルツ全集 単行本 – 1998/10/1 / ブルーノ シュルツ (著), Bruno Schulz (原名), 工藤 幸雄 (翻訳)
・論文:マゾヒストの身振りと創作の作法(加藤有子、名古屋外国語大学大学教授)
他
関連項目
#ブルーノ・シュルツ #Bruno Schulz #コンテンツ会議 #とは #偶像賛美の書 #女性の偶像化 #男性の卑屈な崇拝 #マゾヒズム #形而上学的な身振り #版画 #ガラス版画 #文学 #画家
