【創作】ナポレオンのピアノソナタ【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
「これはなかなか貴重なレコードだな」
入荷した本やレコードの山の中からノアが取り上げる。急に来た大量の本を捌くために、一緒に出荷梱包作業をしていた光一は、手を止めてノアを見た。その表のジャケットには、白馬に乗った男がこちらを見ている絵があった。
「ナポレオン?」
「うん、彼が若い頃に作ったピアノソナタだってさ」
「そんなものもあるのか。このお店には何でも来るなあ」
「うん、怪しいものもあるけどね。ああ、裏に解説がある」
ナポレオン・ボナパルトは、1769年、当時のフランス領コルシカ島生まれ。15歳の時に、パリの陸軍士官学校に入学。砲兵士官になり、1789年、20歳の時にフランス革命を迎える。

マルメゾン城蔵
24歳の時にツーロンの包囲戦で活躍し、少将に昇進。その後、イタリア・オーストリア・エジプトでも勝利を重ねて民衆から圧倒的な支持を得ると、1799年、ブリュメール18日のクーデタをおこし、第一統領に。その後も勝利を重ねてフランスの領土を広げると、1804年、ナポレオン一世として皇帝になる。
ナポレオン法典を制定したり、学者を抜擢して文化を充実させる等、国内を整えつつ外国への遠征を繰り返したが、イギリスの侵略に失敗し、ロシア遠征で敗北。1814年に退位して、エルバ島に流される。
翌年脱出して、再び皇帝として君臨しようとするも、ワーテルローの戦いに敗れ、百日天下に終わる。セント・ヘレナ島に幽閉され、1821年、51歳で死去している。

パリ武具博物館蔵
「そんな彼が、少将に昇進した後、処刑されたジャコバン派のロペスピエールがギロチンにかけられ、近しい間柄と見られて短期間投獄されていたことがある。
釈放されて、再び最前線に向かうわけだけど、その直前に、友人の紹介で無名作曲家と出会ったらしい。それで、自分でメロディを出して、彼に編曲してもらったという」
「ナポレオン自身が作曲できたわけじゃなかったものね。変わった趣向だな」
「でも、意外とこういう曲はある。例えばバッハの名曲『音楽の捧げもの』は、プロイセンのフリードリヒ大王が創った主題を、バッハが多彩に編曲してみせたものだ」
「ちょっとしたメロディだけなら、案外素人でも作れるということだね」
「そうだね。勿論この曲は、表の世界では流通していない。聴いてみようか」

『フリードリヒ大王のフルート・コンサート』
ノアが蓄音機にレコード盤を載せると澄んだピアノの音色が響いてきた。細かいアルペジオは雨のようで、淡白ながらもスムーズに進んでいく。この「無名の作曲家」というのは、なかなかの技量の持ち主なのだなと光一は思った。
三楽章のピアノソナタは、ゆったりとした緩徐楽章を挟み、フィナーレまでアルペジオを主体にして加速して終わった。光一は紅茶を啜るノアに語り掛けた。
「綺麗な曲だね。でも、派手さがないというか、機械っぽい感じがするのが面白いな」
「そうだね。ナポレオンは、大砲を扱う砲科出身で、軌道とかを計算するためにも、数学とかの学問は必須になる。そういう気質が現れているかも」
「なるほど、この音楽家は誰なんだろう。なんというか、古くはないモダンな感じがしたんだけど」
「そうだね。でも解説にも載っていないなあ。この作品が作曲された頃には、モーツァルトは既に亡くなり、ベートーヴェンは、ハイドンのレッスンを受けながら、ウィーンで演奏活動をしていた。ようやく作曲を本格的に始めたくらい。だから、モーツァルトらの古典主義がありつつ、新しいロマン主義に至るまではまだの時代だね」
「もしかして、これを作曲したのは、無名時代のベートーヴェンだったかも」
「そう考えるのは楽しいね」

ノアが笑い、光一はレコードのジャケットを手にとって裏を眺めた。すると、そこに印刷されていたライナーノーツの文字がうねるように変化する。光一は何かの予感がして、ノアに見えないようにした。
「やあ、久しぶり」
文字が変化して、その言葉に変わる。光一は予感がして頭の中で呼びかけた。
「マルスさんですね」
「話がはやいね。だいぶ慣れてきたかな」
文字が変化して文章を作る。文字と光一の脳内で対話するような形になってしまった。
「実はそちらにナポレオンの作曲作品が間違って行ってしまったようで。返品お願いできるかな」
「できると思いますが。集めているのですか」
「まあね。ナポレオンは、歴史上強烈な爆発をもたらした人間だからね。彼の力にあやかって集めたがる好事家が結構いるのさ」
「でも、聞いてみた感じ、落ち着いていて、そんな爆発みたいなものは感じませんでしたが」
「確かに後の世から聞くとそうだ。でも機械的な反復が、新しい予感のようなものを感じさせる。
彼が力を持てたのは、彼が19世紀最先端の時代の子でもあったからだ。砲弾に、軍隊の統率。考古学と民法。そういう新しいものを取り込める素地が、ナポレオンの中にあった。ロマンチックであると同時に、メカニカルな感覚。それが、このソナタにも伺える。
当時のフランスの中にあって、煮え立っていたそれらが、ナポレオンという器を得て、爆発して新しい時代を創り出す。それは多くの偶然によるものであって、本人の気質というものは、そのほんの一部に過ぎないのさ」

「つまり、英雄というものは、その人自身の能力だけでなれるものではないということですね」
「そう、ナポレオンに限ったことじゃない。人は一人ではなく繋がって生きている。ということは、他の人間の多くの感情や知識といった、目に見えないものを集めて、自分の中に取り込む器になって、人は生きているということだ。そこに大小はあれどね。君だってその器の一つだ」
「あなたもまた、そうですね」
「ああ」
「そして、あなたは多分19世紀フランスに関する何かを取り込もうとしている、合っていますか」
光一は頭の中で尋ねた。変化していた文字がピタッと止まった。
「あなたの持ってくる作品で多いのが、19世紀のフランスに関係するもの。あなたはそこに何か大切なものがあって、それを拾い集めようとしている。カストルプさんが日本に関する何かを集めているように。
あなたは、その時そこにいたのですか」
文字がゆっくりと動き始めた。
「そうだね、俺は確かにそこにいた。そこだけじゃない。あらゆる場所を旅してきた。その場所を繋いで、俺が本当に必要とするものを創ろうとしている。君と同じように」
その意味を聞こうとすると、文字が元のレコードジャケットのライナーノーツに戻った。

ノアが喋っているのが聴こえてきた。
「・・・ベートーヴェンの中には、ロマンチックで情熱的な感覚だけではなく、産業革命時代の技術革新の反映のような部分がある。前者は『熱情』、後者は『ワレンシュタイン』のようなピアノソナタに現れている。このナポレオンのピアノソナタのような、メカニカルな感触は決して偶然ではないと思うよ」
光一は、ノアの顔を見る。その顔には、特に疑いもない表情が浮かんでいるのにほっとし、頷いて紅茶を飲むと、二人は配送作業の続きに戻った。
(続)
今回はここまで。
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善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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