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曖昧さの中の光 -ホーソーン『緋文字』の面白さ


 
 
【水曜日は文学の日】
 
名作小説というものは、ストーリーが有名な分、読んでみると意外とイメージと違う印象があったりします。
 
19世紀のアメリカの小説家ホーソーンの長篇小説『緋文字』は、牧師の禁じられた姦通という内容だけは、一応知られているものの、いざ読むと、不思議な曖昧さと饒舌で、こんな異様な小説だったのかと驚かされる、面白い名作小説です。




『緋文字』は、まず『税関』と題された長い序文から始まります。語り手が生まれ育ったセイラムという港町、そして税関での仕事について。監察官の語り手は、ある日私文書と大文字のAが書かれた布を見つけます。そこから紆余曲折があり、へスター・プリンの物語を書くことが記されていきます。
 
17世紀半ば、アメリカが建国される前の、ニューイングランドの村の広場。私生児を抱いた女性へスター・プリンが、集まってきた人々のさらし者にされ、「A」の文字の布をかけられます。


『緋文字』
子供を抱くへスター


アムステルダムから夫より一足先に新大陸アメリカに来て、不義の子を出産したへスター。彼女は牢獄で、医師チリングワースと名前を変えた元夫に再会します。
 
へスターは逞しく生き、私生児はパールという無邪気な野生の少女に成長します。そして、チリングワースは、へスターの相手が、人々から尊敬されている牧師ディムズデールと見抜き、苦悩の中を生きるディムズデールを、底の知れない悪意で追い詰めていく。三人の葛藤は徐々に高まっていきます。。。




この作品の特徴は、全編に漂う異様な緊張感とそのロジックでしょう。
 
筋立てだけなら、古典的な三角関係と不倫のドラマとは言えるのですが、愛情とか結婚とは何かという問題からは、微妙にずらされていきます。
 
へスターは村の共同体から疎外されつつ、結構したたかに針仕事で生きているし、ディムズデールと会う場面では、親密さはあっても復縁の気配はない(まあ状況を考えると当然ですが)。

チリングワースは、牧師の姦通を皆に言いふらすのではなく(勿論、証拠もないし、そんなことは誰も信じないので)、ディムズデールを優しい声音でいたぶることに、全力を注ぐ。
 
牧師やチリングワースの、神についての対話や独白が結構な分量を占めるわけですが、それも神の不在という20世紀的な考え以前の、罪の在りようや人間の中に潜む悪の痛みの制御について、ロジカルに煩悶するのが面白い。
 
登場人物全員のバイタリティが異様に高く、罪の烙印を押された人物が、生きる活力を失うのではなく、寧ろ罪ある故に、生き永らえる意味を見出そうとしている感があります。


1926年の映画『緋文字』




そして、饒舌なその文体。「税関」の語りそのままに、しばしば感嘆し、断言し、読者に語り掛ける。そこにはアイロニーと微かにユーモアも感じられます。
 
そんな饒舌さの中から、森の陽光きらめく小川でパールと牧師が出会う場面のように、自然と人間が束の間の調和を見せる時がこぼれてくる。
 
そして、怒涛のラストは、ある程度予測できても、凄絶な迫力に満ちています。そこでディムズデールがへスターやチリングワースにかける言葉の、あまりの重さ。それは、宗教を超え、人間が他の人間と共に生きる意味を問い掛けているようにも感じるのです。


1926年の映画『緋文字』




ナサニエル・ホーソーンは、1804年、マサチューセッツ州セイラム生まれ。父方の祖先には、17世紀の「セイラム魔女裁判」を裁いた高名な判事がいます。ボードン大学に進み、後のアメリカの国民的詩人ロングフェローや、後の第14代アメリカ大統領フランクリン・ピアースと級友になっています。
 

若い頃のナサニエル・ホーソーン


しかし、大学卒業後、10年に渡って屋根裏に引きこもり、小説を書いて雑誌に投稿したりする生活をしています。この間のそれ以外の動向は殆ど分かっていません。
 
1837年、既に発表された小説を集めた短編集『トゥワイス・トールド・テールズ』を発表。結婚してボストンの税関に何度か勤めては、離職するということを繰り返し、母の死後、1850年に『緋文字』を出版します。つまり『緋文字』冒頭の「税関」の章に描かれていた状況とほぼ一緒でした。
 
作品は売れたものの生活は苦しく、親友ピアースが大統領に就任すると、リヴァプール領事に栄転していますが、作品の質は徐々に低下していきました。1864年、60歳で死去しています。




ホーソーンの小説は一見饒舌ながら、不可解な部分があります。
 
若い新婚の農夫が、魔女たちの饗宴にたった一度遭遇したために暗い生涯を送る『ヤング・グッドマン・ブラウン』、突如黒いヴェールを被ってミサの説教壇に立ち、死ぬまでそのヴェールをとらなかった牧師を描く『牧師の黒いヴェール』といった短編。
 
極めつけは、ある日理由もなくふらっと家を出て近くに下宿して、妻に会わずに20年間生活を続ける男の物語『ウェイクフィールド』でしょう。
 
語りは多彩なのに、理由がさっぱりわからない。「ああかもしれない、こうかもしれない」という曖昧な語りが駆使され、読者に執拗に語りかけているのに、深い霧の中から声が響いてくるような感触が残る。
 

老年期のホーソーン


それはどこか、重大な秘密を隠している人が饒舌に語っているような感じもあります。親しげに話しかけてくるのに、「本当のこと」だけは決して言わない。
 
『緋文字』でも、そもそも「A」が何を指しているのか、全く説明はありません。常識的に考えれば「姦通」(Adultery)なのでしょうが、この単語は、本文中に一度も出てこない。わざと欠落させているのです。
 
研究者の中には、こうした部分を、ホーソーンと姉との間に近親相姦的な関係があり、その影響なのではないかと論じる人もいます。勿論、これも牧師とへスターの関係のように、真相は当事者だけしか永遠に分からなくなっています。


1692年のセイラム魔女裁判
近代最大の悪名高い魔女裁判で、20人近くが刑死
ホーソーンの祖先も判事の一人だった




ホーソーンの親友で大統領になったピアースは、工業化された北部と、イギリスとの貿易と奴隷制によって成り立つ南部の対立を制御できず、ほぼ全ての歴史学者から「最低クラスの大統領」という烙印を押されています。


フランクリン・ピアース


その対立は次の第15代大統領ブキャナンでも全く収まらず(彼も歴代ワースト大統領の常連候補です)とうとう南部連合が独立を目指すことに。
 
そして1861年、第16代大統領エイブラハム・リンカーンの時に南北戦争に突入。彼が勝利して何とか合衆国の連帯を守ると、リンカーン暗殺以降は、北部の工業を中心に経済的発展を遂げます。「金ぴか時代」と呼ばれる繁栄を築いて、世界の強国になっていくのです。
 

エイブラハム・リンカーン


ホーソーンの創造力は、南北戦争期辺りから急激に衰えています。偶然ではありますが、もしかするとそれは、初期のアメリカが抱えて、南北戦争で爆発してしまった、暗い葛藤のようなものが、薄れていく過程だったのかもしれません。
 
「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる入植者たちが新大陸にやってきて、自分たちの領土を広げていった。それは希望に満ちた理想だけではなかったはずです。
 
後ろ暗い過去を隠すために来た者もいるし、歴史的な闇の部分も多くある。そんな部分と理想の生との間で引き裂かれながら、必死に生きてきた。
 
秘密のない人間などいません。闇があるからこそ、光もまた濃くなる。ホーソーンの『緋文字』は、独立する前のアメリカを舞台に、そんな秘密と光を描いた作品のように思えるのです。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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