見出し画像

誰もどこに生まれてくるかなんてわからない。捨子養育院、オスペダーレ・デッリ・イノチェンティの物語。

「トスカーナ州はアフガニスタンからの難民者1500人を受け入れし、2週間隔離後に、州が用意した宿泊施設に移動する。」

この報道があった数日後に、フィレンツェにある捨子養育院のMaria Grazia Giuffrida(マリア・グラツィア・ジュフリーダ)院長が、アフガニスタンからの母子の受け入れを申し出た。

1445年2月5日に、Agata Smeralda(アガタ・ズメラルダ)ちゃんを受け入れてから、約600年後の現在も、現役の捨子養育院であり里親施設です。

大勢の人達で賑わうドゥーモ。あ、そうそう、今夏は欧州の観光客が戻り、賑わいを取り戻したフィレンツェです。しばらくご無沙汰だった光景に未だ慣れぬ私。

ドゥオーモの左後ろには、クーポラへの入り口がある。そのあたりから、北側に直線に走るセルヴィ通りを抜けると、サンティッシマ・アヌンツィアータ教会のある広場に到着。徒歩8分くらい。

画像2

フィレンツェの観光ルートは、「ドゥオーモ → シニョーリア広場 → ウフィツィ美術館 → ヴェッキオ橋」とアルノ川の流れる南側に移動するのが定番。

真逆の北側にあるから、観光名所に少し外れるけど、アーチが繰り返される、ルネッサンス様式の美しいサンティッシマ・アヌンツィアータ広場。ぜひ訪れて欲しいスポットです。

広場を見渡すと、子供がグルグル巻きにされている不思議なメダルの装飾に目を引きます。この建物がオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ。日本語で捨子養育院。

画像4

当時のフィレンツェ共和国の書記局長であったレオナルド・ブルーニの提案のもと、捨子養育院を建設することになります。1419年のこと。レオナルド・ブルーニは、政治家、そして歴史家、さらには、ルネッサンス時代の基盤となる人文主義を先駆けた人物。

1400年代に、捨て子や養子縁組を行う施設を建設しようとする、その発想に、まず驚かされる。

建設を任せられたのはフィリッポ・ブルネッレスキ。クーポラを建て始め、同時進行で捨子養育院も建設。初の試みばかりだから、ブルネッレスキは、いっぱい壁にぶつかりながら、あっちもこっちも、設計図引いて、現場監督して、すごく忙しかったことでしょう。

さまざな境遇の子供たちが、この施設に入り、出ていきました。生まれが高貴でも、次女以降は結婚時に持参金がかかるので、修道院か里子の2択。

経済的に苦しい家族が、食いぶちを減らすために里子に出し、2度と実母に会うことはなかった子供たち。大戦後の孤児も、捨子養育院で育てられました。

画像3

いまは鉄格子が張られている四角い窓。
ここから子供たちを施設へと送りました。

捨子養育院で育った子供たちで姓をもたない子は、捨子養育院の施設名Ospedale degli Innocentiから、Innocenti(イノチェンテ)の姓を持ちます。Innocentiは無垢の意味。フィレンツェには、Innocenti(イノチェンテ)という姓を持つ人が結構います。彼らのおじいちゃんおばあちゃんたちは、この施設で育てられた人達なんでしょう。

現在でも、苦しい家庭環境や、暴力をふるう両親から離して引き取るなど、子供の権利を守るための機関としての役割を果たし、夕方になると、施設のスタッフが、乳母車を引いて散歩する姿を目にします。

スクリーンショット 2021-08-31 12.07.11

マリア様のマントの下で守られる捨子養育院の子供たち

ここに、政治紛争に巻き込まれ、環境が180度変わってしまった、アフガニスタンの親子も身を寄せることになるらしい。

誰もどこに生まれてくるかなんてわからない。たまたま、その国に生まれて、たまたま、この家族に生まれて、その「たまたま」がなんて幸せなことなんだろうと、戦争や貧困の報道を見るたびに感じます。

捨子養育院には、美術館も併設されている。たくさんの引き出しを開けると、布の切れ端、アクセサリーの破片、指輪、手紙などがでてきます。これは、自分の子供たちを手放さなければならなかった母親が、いつか、どこかで再会できることを願って、最後の最後に子供達に身につけさせたものです。

最後に、捨子養育院を見学したときにお願いして頂いた資料のなかから、1本の動画を紹介します。実際に捨子養育院で育ったおばあちゃんの語りです。日本語訳がありますので、興味のある方は、ぜひご覧ください。


Museo degli Innocenti
Piazza della Santissima Annunziata, 13, 50122 Firenze FI
11時00分~18時00分
火曜日休館日
https://www.museodeglinnocenti.it/

タイトルの写真の出典元
Giuseppe Moricci (Florence 1806–79), Woman Abandoning a New-born at the Ospedale degli Innocenti, c. 1854. Florence, Mela Collection.




いいなと思ったら応援しよう!

イタリアのモノづくり | ようこ この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか? 気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます! コメントを気軽に残して下さると嬉しいです ☺️

この記事が参加している募集