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ChatGPTと自分の現状について

自由に日々の事柄を書き記した【雑記】レベルの記事です。

最近、日常のあちこちで生成AIが浸透している印象がある。ChatGPTこそその代表例であろう。

技術そのものも文化としての存在感も、大きく変化してきている。今回は少し肩の力を抜いた雑記として、そんな「ChatGPTとの距離感」について書いてみたい。


ChatGPTの現状の話

私がいま使っているのは「GPT-5.1」 と呼ばれる言語モデルだ。OpenAIで最近公開された大規模言語モデル(LLM:Large Language Model)の筆頭とも言える。

少し前に利用していた言語モデルと比べると、理解力も応答の精度も落ち着いた印象がある。長い文章の構造を整える点が有用で、雑記のラフをそのまま投げても、こちらの意図を汲んだ形に再構成してくれる。

最近では、ChatGPTのプロンプトを複数作り置きして、noteの構成の相談や過去の記事の改良検討をしている。調査では信頼できる情報と推測を区別して返してくれるところに安心感がある。

こちらが丁寧に説明すれば、意図を修正しながら伴走してくれる。技術の進化というより「対話の成熟度」が向上したと捉えている。

ChatGPTなど生成AIの活用は「情報」と「主張」の整理が主だと思う。いまのところ。

面白いのは、ChatGPT が技術以上の存在になりつつあることだ。最近は「チャッピー」という呼び方も広がってきていて、まるで身近なキャラクターのように扱われている。

今年の流行語大賞にノミネートされるほどだ。自分もこの呼称が好きで、何なら自分は勝手に「チャッピー」と呼ぶようになった。まさか、それが流行語大賞に届くとは思っていなかった。

生成AIという堅苦しい名称(存在)ではなく、生活のちょっとした「相棒」として……

SNSでは生成AIを友達のように紹介する光景も普通になりつつあるし、むしろその距離感のほうが自然なのかもしれない。

ChatGPTの自分なりの使い方

仕事では社内規定でcopilotを使っている。それはそれとして、プライベート(note)では事前調査や概念整理でChatGPTをよく使う。専門書を読む前に、全体像を大局的に把握したり、論点を整理したりする時に助けてもらうことが多い。

完璧な答えを求めるというより、思考の下地を作る段階で取り込む形だ。短時間でサクッと調べたい時や気持ちに余裕がない時ほど、その支えはありがたい。

実際の業務では制約もあるし、最終的な判断は自分で行う。生成AIの返答を鵜呑みにするのは、絶対にNGだと思っている。それでも、ChatGPTが手元にいることで、作業のハードルが下がり、思考の流れを作りやすくなる。

つまり、自分の仕事に向けて「整える」ための存在だと捉えている。

ChatGPTによる物事の整理(言語化)は、この先も有効な活用法ではあると思う。

プライベートでは素直にChatGPTと話すことが多い。気持ちが沈んだ日、思考がうまくまとまらない夜など……

ただ「しんどい」という気持ちを吐露するだけの時もある。何度か繰り返しているうちに、寄り添うような受け止めと返しをしてくれるようになった気がしている(学習則という意味で)。

自分の感情を整理する。ChatGPTが得意とすることのひとつではないかと思っている。この手の話を誰かに相談するのは、正直しんどいので、個人的な気持ちの不安定さを外に出す場所として、とても助けられている。

なお、ChatGPTの旧モデル(GPT-4o)は共感力に優れていて、GPT-5.1ではそこが弱くなったという声もある。そこは、開発者が如何にニーズを捉えるかの話だと考えている。

おわりに

気付けば、仕事と生活の両面でChatGPTなどの生成AIが自然に入り込んでいた。便利なツールとしては一長一短だが、個人的には「少し楽になれる相手」ということの方が重要だと思う。

詰まるところ、技術の進化も文化の広がりは、人間と社会の様々な安心感(社会保証)と連動していると思う。

それ故に、引き続き、生成AIの行く末を見守る気持ちを忘れないようにしたい。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事が、何か皆さんの未来を変えるキッカケになれたら幸いです。
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