続けられる努力には理由がある
自分は昔から、ある種の勉強や習慣だけは不思議と長く続けられる傾向がありました。
小学生の頃であれば、計算・漢字ドリル(周回していました)。現在であれば、noteの執筆です。理由は特殊ですが、料理も定着化しつつあります。
一方で、何事も容易に継続できる訳ではありません。
自分の置かれている状況が複雑で、毎度異なる判断を求められる。そうした活動は、個人的に疲弊しやすい傾向があります。以前はそれを「根気が足りないからだ」と考えていました。
しかし、心理学や脳科学に触れたことで、新たな視点が生まれた。継続できるかどうかは、意志の強さだけで決まる訳ではない。ということです。

継続性は認知負荷と関係している
教育心理学の一般論として、人間が扱える情報量には限界があるとされています。これは「認知負荷」と呼ばれる概念が密接に関係しており、脳内で処理するタスク(情報)が多いほど、人間は疲弊しやすいのです。
自分自身を振り返ると、長く続いているものには共通点があります。
目的や手順が明確である
個人が判断する余地が少ない
冒頭で示したドリル、資格勉強、料理(内容を完全に定型化した)は、手順が明確でした。また、個人で完結する作業であるため、判断の範囲を自分でコントロールできます。
noteの執筆も同様でした。ChatGPTを活用して記事のドラフトを作成し、細部の修正は自分で行います。
反対に、状況が複雑で見通しが難しい場面では、一方的に苦しくなる傾向が非常に強い。物事の多面性と人間関係の要素が加わり、脳内で処理するべき情報量が一気に増えてしまう。
元より気にしすぎる性格が、こうした場面では災いしてしまう。これを「意志の弱さ」だけで説明するのは、少し乱暴かもしれません。


継続の土台になるのは自己理解
こうした背景を踏まえて、継続的な努力に必要な要素(視点)は何か。個人的には「自己理解」が重要と考えます。
人間は一人ひとりで特性や価値観が異なります。つまり、継続できる条件は人それぞれです。
単調な作業を長期的に取り組める
日常的な環境変化を楽しめる
集団より個人で進める方が集中できる
集団の中に居る方が頑張れる
ところが、私たちはいつの間にか自分の特性や価値観を無視したやり方を追求し始めてしまいます。外的要因(背景)も含みます。
本当はルーティン作業が得意なのに、環境変化の激しい働き方を目指してしまう。
本当は手順が明確な方が安心できるのに、曖昧な指示や構造の中で適応しようとしてしまう。
自分に無理を強いることは、自責の念を強めることになります。故に、継続的な努力には「自己理解」が重要なのです。
就職活動の場面でよく「自己理解」の話を耳にしますが、今回示している自己理解とは、「そもそも、自分はどう在りたいのか?」という根源的な問いであり、就職(内定)などゴールを固定化しません。

心理学の勉強は自分を知る手段になる
自己理解を自分の体験から紐解くと、心理学やメンタルヘルスに関する学びの継続が挙げられます。今年度も冬に向けて、メンタルヘルスマネジメント検定の学習を進める予定です。
それは、単なる資格取得に留まらない。自分自身の心情や特性を理解するための手段として、学んでいきたいと考えています。
自分が疲弊しがちな理由
継続できる事柄とできない事柄の違い
人間の心理的な反応のばらつき
努力を続ける方法はひとつではありません。精神論が役立つ場面もある筈ですし、自分も漏れなくその通りです。
一方で、精神論だけでは説明できない側面もあります。その時に、先述した自己理解が継続的な努力を支える土台になると考えます。

心理学的には「レジリエンス」に注目する考え方があります。無理を強いない形で継続的な努力を獲得する手段として有効だと思います。

おわりに
自分は塞ぎ込んだ時ほど、続けられない理由を「根性が足りないからだ」と考えがちでした。そうした古傷は今も残っていて……
続けられる努力には、その人なりの条件がある。その条件を知るには、自己理解が必要不可欠です。誰よりも、自分自身に唱えるべきことです。
継続とは、ただ我慢することではありません。自分の特性や価値観に合う方法を見つけて、無理なく続けられる環境を整える。
努力を続けるための形は、人それぞれです。
-------------------------
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事が、何か皆さんの未来を変えるキッカケになれたら幸いです。
-------------------------
⭐︎⭐︎⭐︎ プロフィール ⭐︎⭐︎⭐︎
