絵を読み解くこと、その受容について―ブロンズィーノ《ヴィーナスとキューピッドのいる寓意》を例として
絵画の鑑賞方法において、自由に感じればいいという考え方が現在の小・中学校の美術科教育では主流である。この考えは、必ずしも「美術」を学ぶことがメインではなく、「美術」を通して学ぶという教育普及という点では重要であることは疑いがないように思われる。一方で、感性をもって絵を見るという行為が生まれたのは、たかだか100~150年頃前からであり、ぞれ以前には一定の知識を持って絵画を読み解くことが前提であった。
現代の我々にとって、最も読み取りにくい絵画ジャンルのひとつが「寓意画」であるかもしれない。寓意 (allegory)とは、抽象概念やある種の思想を人物を中心としたイメージの組み合わせによって表現する手法であり、その寓意が中心となった絵画を寓意画と呼ぶ。
「自由の女神」ではなく、「自由(の寓意)」

パリ、ルーヴル美術館
例えば、誰もが一度は目にしたことがあるドラクロワ《民衆を導く自由》(図1)は、同時代の出来事を象徴的に表したという点で新古典主義から続く新しい「歴史画」であるといえるが、「寓意像」が重要な役割を演じている。日本語タイトルとしては「民衆を導く自由の女神」としてなぜか定着しているが、原語(仏語)タイトル「La Liberté guidant le peuple」から明らかなように、中心の三色旗を持った女性は女神ではなく、「自由(La Liberté)」を表現するものとして捉えられている。
ちなみに本作は、1789年に起こったいわゆる「フランス革命」を描いたものではなく、1830年の7月革命の出来事に触発されて制作されたものである。ドラクロワは、翌年のサロンに「革命(Scènes de barricades)」というタイトルで本作を出品している。フランス国王軍を打ち負かしていく民衆を導く女性は、古代の民主主義国家であったアテネの守護神であり、戦いの女神であるアテナに着想を得たものであろう。しかし、平民(第三身分)の象徴であるフリジア帽子を被らせることにより、この民衆たちが獲得しようとする「自由」を象徴する寓意像として画家が創り上げたものだと考えられる。


この寓意像は、フランス共和国を象徴する「マリアンヌ像」として19世紀後半には定着していく。現代でも土日にはデモをする人々の姿をよく見かけるレピュブリック広場にはこの自由の寓意像(図2)が堂々と鎮座している。またニューヨークにあるいわゆる「自由の女神」(図3)は、フランス国家から独立100周年を記念してアメリカ合衆国に贈られたものであり、その正式名も「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the World)」となっており、女神像ではなくあくまで寓意像である。
寓意画の読み解き

146×116 cm、ロンドン、ナショナル・ギャラリー
前置きが長くなってしまった。本記事では、寓意像を読み解くことの難解さの意味を、ブロンズィーノ《ヴィーナスとキューピッドのいる寓意》(図4)を読み解くことで考えたい。
本作については、美術史の古典であるパノフスキー『イコノロジー研究』において、「逸楽の暴露」を表す寓意像であるとして詳細に論じられている。パノフスキーは、本作が「イコノグラフィー(図像学)的には、「一方で」愛の快楽を、そして「もう一方」で愛の危険と苦悩を示している」としながらも、その愛の快楽が偽りであり、その危険と苦悩が害悪であることを表すために本作が描かれていると述べる。
作品の中央にいる女性は、黄金の林檎を持っていることから、愛と美の女神であるヴィーナスであるということがわかる。彼女は、パリスから林檎を渡されることで、最も美しい女神として認められた。彼女と抱擁するのは、矢筒を持ち、翼があることから、ヴィーナスの子どもであるキューピッドであることが容易に想像がつく。しかしながら、キューピッドが青年の姿で描かれることにより、ただの親子の微笑ましい抱擁ではなく、どこか官能的な雰囲気を醸し出している。背景にあるミルテ(ギンバイカ)の木が愛の古典的な象徴であり、キューピッドの足元にいるくちばしを合わせている鳩の姿が愛の愛撫を象徴していることから、2人の抱擁が男女の逸楽であることを証明している。さらには、キューピッドが枕を膝にしていることからも、この抱擁の妖しさを強調している。枕は、怠惰と好色の寓意である。
一方で、左手に髪をかきむしる人物は、「嫉妬」の寓意像である。そして、それと対置するように左手に位置する男の子は、ヴィーナスとキューピッドの抱擁に戯れるかのようにバラの花を投げ込んでいる。バラは「愛」を象徴するものであるが、大地から切り離された瞬間から「はかなさ」を象徴する。少年の足元にある若い女と老年の仮面は、それ自身が時の移り変わりを想像させると同時に、仮面であることが不誠実と偽りを示す。

右手背景にいるのが、「欺瞞」の寓意像である。彼女は美しい若い女の顔を持ちながら、身体は醜いグリフォンの姿をしている。一方の手では蜜蜂の巣を差し出し、もう一方の手で毒のある小動物を隠し持っている。よく見ると、彼女の蜂蜜を差し出す右腕についている手は左手であり、逆の左腕が右手となっている。ちなみに西洋文化では右手が「正義」や「幸福」を表し、左手がその反対を示す。つまり本作では、「欺瞞」が一見すると「善い」手と思われる手で甘いもの(=蜂蜜)を差し出すが、それが「悪い」手なのである。一方で、一見「悪い」手と思われる「善い」手で毒を隠し持っている。これをパノフスキーは、ブロンズィーノが企てたもっとも「巧妙な倒錯した二重性」と述べ、現代の我々には読み取り難いものとして論じている。

そして、これら様々な意味が付された群像のヴェールを剥ぎ取っているのが、老年の男性の姿で表現される「時」の寓意像であり、それを手伝っている左手の人物は、「時の翁」の娘である「真理」の寓意像である。
これだけの寓意を、同時代の人々も含めてどれだけの人間が理解できたであろうか。本作は、ヴァザーリの言葉によれば、フランス・ルネサンスの庇護者であるフランソワ1世に献呈された作品だといわれる。当時の最先端であったイタリア文化を貪欲に吸収しようとしていたこのフランス国王にとっては、様々な知識と文化を盛り込んだ本作が魅力的なものに映ったのかもしれないし、本作を謎解きをすることがある種の高尚な営みでもあったと想像される。
本作を所蔵するロンドンのナショナル・ギャラリーの解説では、この作品が高級ファッション雑誌のようなものとして語られる。つまり、それは「わかる人にさえわかればいい」芸術であり、それらがわかることが博識があるエリート(ファッションであれば「ハイ・センス」を持ち合わせた人)であることの証明であったということを示唆している。
少なくともルネサンスからマニエリズム期のこれら寓意を含んだ芸術作品鑑賞とは、「感じる」ことが求められることはなく、「読み解く」ことが重要であった。
参考・引用文献
・エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究(上)』浅野徹ほか訳、ちくま学芸文庫、2002年、174-186頁。
・エリカ・ラングミュア『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド(増補改訂)』高橋裕子訳、ロンドン、ナショナル・ギャラリー、2004年、106-107頁。
