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第26話 神は日本語の中にいる

普段よく使う言葉に、誰に対して言っているのだろうと思うものがある。「お陰様で」や、「いただきます」がその例だ。

「お陰様で」はどういう意味か。
誰かに久しぶりに会った時のあいさつに「お陰様で、元気にしています」。という。誰かの助けで元気にしているという意味を表す。その誰かとは、目の前にいる相手ではない。もし目の前にいる人、例えば医者があなたの健康を回復したのであれば、あなたの治療のおかげで、とか薬のお陰でとか、具体的な原因を言うだろう。人がお陰様でというとき、漠然とした何かを思い浮かべている。

「陰(かげ)」は、光の当たらない部分、つまり物の背後にできる暗がりを指す。そこから「身を寄せて守られる場所」の意が生じる。木陰、物陰の「陰」。神域や大樹の陰に入れば風雨から守られる——その庇護の下にある状態を「御陰(みかげ)」と言い、神の霊威そのものを指す用法もある(「御影」と表記が通じ、京都の御蔭祭、各地の御蔭参りなどはこの系統だ)。つまり「お陰」は本来、神仏の目に見えない庇護を意味した。「様」は敬称だが、「お陰」という抽象的な言葉に対して擬人的に付けられる。同型の語に「ご苦労様」「お疲れ様」「お世話様」があり、いずれも行為・状態を人格化して敬う形だ。これは、感謝の気持ちをより明確に表すためにつけられた接尾語であろう。

自分を生かしてくれる存在のお陰でという、「お陰様で」は、自分が庇護の下にあるという認識を述べている。神を意識した言葉だと言える。

「いただきます」はどうか。
「いただき(頂)」は頭の一番上を指す。山頂の「頂」も同じ語。ここから動詞「いただく」が生じ、本来は「頭上に載せる」ことを意味した。

『万葉集』の時代からこの原義で使われている。神に供えたものを下げて食べるとき、また目上の人から物を賜るとき、それを両手で目より高く掲げる——この所作を「押し戴く」と言う。受け取ったものを頭より高い位置に置く、つまり与えたものが上位、自分が下位と位置付ける動作だ。

一般にいただきますは、食べ物を作ってくれた人や、食べられる動植物に対しての言葉と思われている。勿論その意味も大きいだろう。ただ、もし、そうしたものだけへの感謝の気持ちを表したいのであれば、感謝しますの方が適切ではないか。
お神酒をささげる事、神と共に食事をするという神饌の儀式が古来より続いている。神に対して、食べ物をいただく。いただくというのは自分より目上のものからの所作を指す。作った人や、動植物は目上ではなく同格だ。いただきますと言った瞬間、それを与えてくれるのが、目上にあることを意味する。この意味で、いただきますは神から、あるいは大いなる存在からもらうという意味を内包している。

「ありがとう」はどうか。
この言葉には、お陰様でやいただきますのような、宛先の不明さはないように見える。目の前の相手に向かって言う言葉の様だ。

ありがとうの語源は、「有り難し(ありがたし)」から来ている。「有り難し」を分解すると、「有る」+「難し」、つまり「存在することが難しい」「めったにない」という意味だ。つまり「ありがとう」は、語源に遡れば「あなたのしてくれたことは、有ることが難しいほど稀なことだ」という認識を伝える言葉ということになる。

欧米の言葉と比べてみる。英語のThank you、フランス語のMerci beaucoup、ドイツ語のDanke schön。いずれも直訳すれば「感謝します」だ。私があなたに感謝するという形をとる。二者間の直接的なやりとりだ。ありがとうはこれとは少し違う。

誰かに感謝すべきことをしてもらった時、「めったにないこと」と言い換えたらどうなるか。その人のしてくれたことを客観視している言葉になる。だが、めったにないと言うためには、めったにあるかないかを判定する目が必要だ。何と比べて稀なのか。その目は、目の前の相手と同じ地平線の上にはない。宇宙や高次元からの目だ。つまり、「めったにないこと」は神の目線に照らし合わせてという意識を含む。

ありがとうと言うとき、人は相手に向かって話しているようでいて、無意識のうちに神を通して言っているのだ。

Thank you= Merci beaucoup=Danke schön=感謝します、は同列の間での言葉のやり取り。ありがとうは、別格の存在を通してのやり取りであり、構造が違う。ありがとうという言葉を口にしたとき、感謝しますより、さらに、感謝の意が深いと感じたことはないだろうか。だとすれば、それは、神との交流も含んでいるからである。

このように日本語を使うとき、深層意識の中に神を呼び起こす。敬虔なキリスト教徒も、食事の前に神への感謝の祈りをささげる。ただ、これは祈りという所作の中に込められた神との交流である。そこが日本語との違いだ。

日本語は、所作の中にではなく、言葉の中に神が宿っている。



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