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第2回 音と言葉の伝達力

音楽の教科書には、「音楽の3要素」ということが、必ず書かれている。

メロディ リズム ハーモニーであるが、大雑把にいうとメロディは上がるか、下がるか、同じ音を継続するかの3つに分かれ、リズムは、古典派までの西洋音楽を例に挙げれば、まず3拍子系か4拍子系、ハーモニーは、当時の人の耳にとって聴きやすい音即ち協和音ということだろうか。メロディも階段を一歩一歩上がるか(音階進行)、1段飛ばしで駆け上がるか(和声進行)によって情景が変わってくる。上昇するメロディは、活力を生み出し下降するメロディからは衰退や安定を感じる。

そしてリズム。いうまでもなく人間の鼓動だ。通常は1分間に50〜100回、これ以上を頻脈、これ以下を徐脈という。M.M♩=60というのはメルツエルのメトロノームで、1分間に60回数えるということを表している。ハーモニーについてはこの後述べるが、音楽とは,「ヒト」がいわば音程と音価の異なる2つ以上の音を発していったとき、他人を含むその集団が最も安心、共有できる組み合わせになったのではないか。

2人以上の人が歌えばユニゾン(トニック),ドミナントやそれ以外の不協和音の合唱も生じたであろう。それらを自分の脳,そして集団の脳に記憶させながら、心地よくない音楽を「不協和音」として警戒排除していったのではないだろうか?

それとは別に、よく知られているのが、Allegro「快速に」 Andante「歩く速さで」等の表現がある。人間の心拍数が、感情、周囲の環境、更には時代によって微妙に変化していく、まさに人が音楽を生活の中に取り込んでいく過程で、高度に変化してきたものだ。これについては「音楽キーワード事典」東川清一・平野昭共著 春秋社の第12章に、平野氏がその語源、用例について詳しく書かれているので、参照されたい。

 さてこの3つの要素はこうして時代と共に変化してきた。それは1つには人間の聴覚と大脳の進化に大きく関係している。

人間は、その進化の過程で言葉と音楽のどちらを優先してきたのだろうという疑問を私はこの50年間持っていた。伝達の情報量としては、言葉の方が圧倒的に多く、情報の正確さも音楽は言葉に及ばない。しかし緊急時に他人に知らせる手段として発する音は、もはや言葉ではなく叫び即ち高いメロディ、早いリズム。叫ぶ者が複数になれば、不協和音となるだろう。つまり心地よい音楽とは真逆のものが、言葉よりも速く他人に伝わる。これは人間以外の他の動物でも例えば鳥は、さえずりと危険を知らせる声を鳴き分けていることは、よく知るところである。

「きゃー」「誰か」「助けて」は、高い鋭いメロディ、不規則なリズム、複数になると不協和音となるだろう。それに対し朝礼の「おはようございます。」宴会の「乾杯!」これなど「ご唱和願います、それでは〜」とアウフタクトで次の一拍目を揃える念の入れ様だ。唱和は見事にユニゾンになる。そこには心地良いリズムとメロディを感ずる。だが和声ではない。とくに日本語は、抑揚がないと言われている。外国人からすると、怒っているのか笑っているのかわからないと指摘される。

外国語特に西洋と呼ばれるヨーロッパ、アメリカ人はどうなのだろうか?

小倉朗氏は『現代音楽を語る』岩波新書 1970 の中で、次のように解いている。

第Ⅳ章 言葉と音楽 8〜 全文引用すると長くなるので、私なりの解釈で要約させて頂くと、Is this a pen ?とYes, it is a pen.との問答の中で、音楽家の耳は、この二つの音に、五度の音程の開きがあることをききわけた。更にいえば、問の音はドミナント、答の音はトニックの関係にあることをみつけたのである。〜もしこの関係が狂ってくると次のような次第になる。たとえば、尻上がりに「これはペンですか」とか、疑問詞を低くおさえつけるように、「何ですかこれは」とか、尻上がりに「これはペンです」といえば、反問になり、そのイントーションによっては、更に嘲笑や問責の表情になる。
   このT(主音ド)〜D(属音ソ)〜T(主音ド)から派生した西洋の全音階(ダイアトニックスケール)と東洋の島国で、大陸の影響を受けながら、独自に発展してきた日本の音階との違いと言えるのかも知れない。

因みに私は、Is this a penは、べートーヴェン のピアノソナタ第25番Op79の冒頭の響きに聞こえる。そうなるとミを含んだ長3和音となりハ長調(原曲はト長調)という調性が確定するが、それはG A E E(ソラミミ空耳)であろうか?

次回はリズムとハーモニーとの関係を、ベートーヴェンの時代の聴衆の耳から考えていきたい。




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