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青春はやっぱ苦い 39 (莉帆のこと)

図書準備室の扉をそっと開ける。
外の空気が思っていたよりも、ずっと冷たくて、ひんやりとした。
莉帆の袖を直した指先に、まだぬくもりが残ってる気がして、私は無意識に自分の指を握る。
さっきの、あれは…「ごほうび」。
でも――あんなふうに、自然に頬にキスができるなんて、
私、やっぱり少し…変わってきてるのかもしれない。
莉帆は、私の少し後ろを歩いてる。
ほんの一歩。
でも、その一歩の距離に、いろんな想いが詰まってる。
「……だ、大丈夫だった?」
後ろから、ぽつんと聞こえた莉帆の声に、
私は振り返らずに、こくんと小さくうなずいた。
振り向いたら――
きっと、あの赤くなった顔を見たら、
私、自分でもびっくりするような顔をしてしまいそうで。
だからそのまま歩き出す。
夕方の図書室。
誰もいない静けさが、まるで時間を止めてくれているみたいだった。
背後で、莉帆のローファーが床を踏む音が、少しだけ遅れてついてくる。
そのリズムが、まるで私の心拍とシンクロしてるみたいで、妙にくすぐったい。
「……アイ」
また、そっと名前を呼ばれて、
私はようやく一度だけ、肩越しに微笑んだ。
「……ちゃんと似合ってたよ。あの水色」
その一言に、莉帆がふわっと息を呑んだ気配がして――
私は、その反応に満足しながら、カウンターの方へと歩いていった。
図書室の空気が、ちょっとだけ甘く感じたのは、たぶん、私のせいだ。
カウンターの向こう。
机の上の返却リストをめくる茉莉花先輩の視線が、一瞬、こちらに流れた。
何も言わない。
ただ、少しだけ本のページを閉じる指の動きが止まった気がした。
 
莉帆の手が、私の袖口をまだ掴んでいる。ほんのわずか、でも確かに。
「……行こっか」
私が小さく言うと、莉帆はこくんとうなずいた。
ふたりで図書室の中央を横切っていくと、背中に視線を感じた。
カウンターの奥、茉莉花先輩が、頬杖をついたまま、こちらを見ていた。
「ねえ、白川さん」
呼び止められて、私は振り返る。
茉莉花先輩は、いつものように本のページを指でなぞりながら、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「あなたの“カノ”、今日は少し顔つきが変わってたわね。
……なんというか、“従順に安心しきってる”が滲み出てた。」
「……そんなこと、言わないでください」
「ふふ。冗談。……でもね、」
茉莉花先輩の声が、少しだけやわらかくなる。
「わたし、あの子のこと、最初は正直わからなかったの。でも、こうして通ってくるようになって……なんだか最近、空気みたいに馴染んできてる気がしてね」
彼女は、指先でページを閉じた。
そして、やや間を置いて言葉を継ぐ。
「そういう人が、ひとりでも“居ていい”と思える場所って、大事よ。たとえば……こんな、静かな本の海みたいな場所でも」
「……はい」
私はそっと莉帆の手を取り直す。
茉莉花先輩は、それを見ても何も言わなかった。ただ、静かに頷いていた。
「ねえ、白川さん。姫野さん」
まっすぐな視線。
でも、とても穏やかで、どこか優しさのにじむ瞳。
「図書室って、そういう空気も、案外吸い込んじゃう場所なのよ。
たとえば――静かすぎて、二人きりになると、息づかいさえ響いてしまうから」
「……あの」
思わず声が出たけれど、茉莉花先輩はその言葉をそっと遮るように微笑んだ。
「心配してるんじゃないの。ただ……応援してるだけ。文学って、時々そういう気配に敏感だから。“気配”が“物語”に変わるときって、案外いつも、静かな部屋の片隅なのよ……じゃあ、また明日ね。文学の恋人たち」
本に視線を戻しながら、そんなふうに呟く。
その一言に背中を押されるようにして、私たちは扉へ向かって歩き出した。
扉の前で振り返ると、カウンターの向こうにいた茉莉花先輩は、もう視線を本に落としていた。
けれど――その横顔は、どこか穏やかで、微笑んでいるように見えた。
図書室の扉を開けると、夕暮れの廊下に、ほのかにインクと紙の匂いが漂っていた。
莉帆は、私の手を離さなかった。
夕暮れの校舎の廊下、私たちはゆっくり歩いていた。茉莉花先輩の姿が遠くの図書室の窓越しに見える。先輩は黙って私たちを見守っているように見えた。
「……アイ、私、明日も来てみようかな」
莉帆がふと呟いた。その声には、いつもの不安や戸惑いではなく、ほんの少しの勇気が混ざっていた。
「うん、そうしようよ。私も、ポチが来てくれるの楽しみにしてる」
私は微笑みながら応えた。
「それに、留菜もポチのこと、ちゃんと応援してくれてるんだよ。ノートを取ったり、話しかけてくれたり。あの子もきっと、ポチの味方だよ」
莉帆の表情が少しずつ柔らかくなっていく。
「そうなんだ……ありがとう、アイ」
心の中で、これが小さな一歩でも確かな歩みだと感じていた。
「明日も一緒に行こうね」
そう言いながら、私は莉帆の手をぎゅっと握った。
 
玄関の扉を開けると、すぐにママの声が響いた。
「おかえり、愛莉!」
「ただいま」
私は小さく返事をして、自分の部屋へと向かう。
部屋のドアを閉めて、リュックを床に置き、ベッドにそっと倒れこむ。
天井を見つめながら、頭の中は自然と莉帆のことでいっぱいだった。
ベッドに倒れこみ、視線は天井を漂うだけ。けれど、頭の中はまるで嵐のようにざわついていた。
今日、図書室で確かめた水色のインナー。
あの繊細なレースの感触が、今も指先に残っているようで、胸がじんわりと熱くなった。
私は、洗面台の鏡の前に立ち、制服のボタンにそっと指を這わせる。
ボタンをひとつ、またひとつ。外れていくたびに、少しずつ肌に触れる冷たい生地の感触が、いつもより鮮明に感じられた。
ブラウスを脱ぎかけたそのとき、不意に、今日の放課後の記憶が鮮明に蘇えり、鏡に映る自分と、そっと向き合う。
制服を脱いで、肌着姿になると、ふわりと現れたレースの縁取り。
ペールブルーのセットよりも、ほんの少しだけ背伸びした、自分で選んだライトベージュのブラ。
大人っぽく見える気がして、あの日思い切って買ったものだった。
手が自然と胸元に伸びて、自分の柔らかな膨らみに触れる。
形の整った3/4カップに指を添えると、その内側に収まる胸の感触がわずかに伝わってくる。
指先が肌の繊細な感触をなぞりながら、胸の内側からじわりと熱が広がっていった。
思い出すのは、今日の莉帆。
水色のレースが彼女の肌にそっと触れて、わずかに震えていたあの細やかな反応。
そんな彼女を見ていると、自然と心が溶けていくようだった。
手が自然と胸元に伸びて、自分の胸にそっと添える。
そこにある温もりは、自分のものなのに、まるで誰かと繋がっているような錯覚を呼び起こす。
莉帆のことが浮かんで、胸の奥がほんのりと疼いた。
あの水色のレースが肌に触れていた彼女の柔らかさ。
恥ずかしそうに水色のブラを気にしていたあの小さな仕草。
まるで私に「見ていてほしい」と囁いているみたいで、胸が締めつけられる。
「私が選んだもの、莉帆のぬくもり……全部、私だけのものにしたい」
そう思うと、手のひらに伝わる自分の胸の感触が、いつもより温かく感じられた。
心の中は莉帆でいっぱいで、胸の内側から愛しさがあふれてくるのを抑えきれなかった。
そして――「ごほうび」と言ったときの自分の声が、かすかに震えていたのを思い出す。あの時の私の声は、確かに少しだけ震えていた。でも、それは迷いではなく、莉帆への深い愛しさと決意の証だった。
私はゆっくりと息を吸い込み、彼女の頬に触れたその感触を思い出す。
あのときのキスは、もっと大切な意味を持っている気がして。
胸の奥がぎゅっと締めつけられるような、不安と期待が入り混じった感覚。
自分の感情が何に向かっているのか、時々わからなくなりそうになるけれど、確かなのは、彼女の存在が私の世界を彩っているということ。
こんなにも彼女のことが気になるなんて、ずっと隠してきたけれど、自分の中で少しずつ本当の気持ちが芽生え始めているのかもしれない。
同時に、こんなに近づいてしまっていいのだろうか、という戸惑いもある。
私のその感情が彼女にとって重荷にならないか、失望させたり、困らせたりしないかと不安で、胸の奥がキュッと痛む。
でも、もし私が強くなることで、彼女を守れたり、笑顔にできるなら。
それならどんな困難も受け入れたいと思う自分がいる。
あの水色のレースは、私が莉帆のために選んだ“お守り”であると同時に、私にとっても大切な証なのだ。
誰にも見せていない、その秘密の存在が胸にあるだけで、心が少しだけ強くなれる。
あの瞬間のキスは、ただのご褒美なんかじゃなくて、お互いの気持ちをそっと確かめ合う約束のように感じられた。
「もっと君に触れてみたい」
「もっと君を知りたい」
言葉にはできないそんな想いが、胸の中で静かに燃えていた。
頬に触れたあの柔らかな感触が、今も鮮明に心に残っている。莉帆の頬にそっと触れた指先の温もり、そのときの彼女の少し震えた呼吸までも、私の胸の奥でじんわりと温かく広がっていく。
私は思わず目を閉じて、その瞬間を何度も繰り返す。まるで時間が静止したかのような、二人だけの秘密の世界。
そのやわらかな肌の感触を思い出すたびに、胸の奥がじわりと熱くなる。心の片隅にあった不安も、小さな喜びへと変わっていくようだ。
彼女が見せた、ほんの少しの恥じらいと、守ってほしいという微かな欲望。
「私が選んだ、あのインナー……」
胸の中で繰り返す言葉が、まるで囁きのように甘く響く。
手のひらで胸を包み込むたびに、まるで彼女のぬくもりを感じているかのようで、心がじりじりと疼いた。
制服をゆっくり脱ぎ終える頃には、身体の奥から熱いものが込み上げ、胸の高鳴りが止まらなかった。
「私だけの、ポチ……」
そんな想いが深く胸を満たし、触れられないのに肌がざわつく。
静かな部屋の中で、ひとり胸に手を添え、愛しさと切なさが入り混じった甘い熱に身を委ねた。
心の奥底で、誰にも見せたことのない不安や戸惑いがくすぶりながらも、同時に溢れそうなほどの優しさが満ちてくる。こんなにも彼女を大切に思っている自分に、改めて気づく。
鏡に映った自分の顔が、ほんのりと赤くなっているのに気づいた。
頬だけじゃない。耳の先まで熱い。
――図書準備室。
胸元の小さなリボンに、そっと触れた自分の指先。
シャツ越しに伝わった、莉帆の体温。
そして、整えてあげるふりをしながら、顔を近づけて、
あの子の頬に…キスをした。
(……わたし、あんなこと……)
慌てて視線を逸らしたけれど、心は落ち着くどころか、ますますざわめいていく。
(……わたし、ちゃんとリード、できてたかな)
鏡越しに、自分の表情を見つめながら、ふと、図書準備室でのやり取りがよみがえる。
「制服のリボンを直して上げる」なんて嘘をつきながら、
誰も来ないあの小さな空間に莉帆を連れて行って、
リボンを整えるふりをして、シャツのボタンを外して、
その素肌にそっと触れた。
そして、あの子が水色のインナーを着てきてくれたことに、胸がぎゅっとなって――
「ごほうび」だなんて、自分から口にした。
頬に、そっと、唇を重ねたとき。
莉帆は、目を閉じて、微かに震えながら受け入れてくれた。
(……嬉しかった。ちゃんと従ってくれて、恥ずかしがって、それでも逃げなかった)
鏡に映った自分の顔が、ほんのりと赤くなっているのに気づいた。
頬だけじゃない。耳の先まで熱い。
慌てて視線を逸らしたけれど、心は落ち着くどころか、ますますざわめいていく。
恥ずかしがって、目をそらしていた莉帆。
小さく揺れた睫毛や、触れた指先の、あの微かな震え。
全部が愛しくて、全部が、忘れられない。
(あんなふうに従ってくれるポチが、可愛くて仕方なかった……)
でも、それ以上に――
あんなふうに、わたしの「ごほうび」を受け取ってくれたことが、
胸の奥を甘く満たしていた。
けれど、同時に思ってしまう。
わたしの言葉や仕草は――“主”として、ちゃんと誇れるものだったんだろうかって。
このブラを買ったときの自分。
誰にも見せないけど、強くなれそうな気がして、お守りみたいに大事にしてるTバック。
ああいうものを身に着けてる自分が、“主”でいるべきなんだって、少しだけ思っていた。
莉帆に触れるたびに思う。
ちゃんと導いてあげたいって。
でも、そのたびに、自分の胸の鼓動が速くなって、
手のひらが熱くなるのを止められない。
(……好きって気持ちと、主従の境界って、ほんとは、すごく近いのかも)
そんなことを考えているうちに、鏡に映る自分の頬が、またゆっくりと赤くなっていくのに気づいた。
そっとカップの下に指を添えて、形を整える。
莉帆が、あの水色のインナーを着ていたときの、あの羞恥の表情を思い出しながら。
(……また、ポチが着てきてくれるといいかも)
(そしてまた……“ごほうび”をあげられるくらい、わたしがちゃんとしていられるだろうか)
ほんの少しだけ、鏡に向かって微笑むと、肩からバスタオルをかけて、静かに浴室の扉を開けた。
 

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