エデンの東
3
親に愛されたい欲は愛したい欲より強い
ジェームス・ディーン演じる主人公は、無闇に父親の気を引こうとする。母親がいないのも一因だろうが、無邪気なほどストレートに父親のために行動し、それがまた思慮が足りないから怒られることになる。怒られても怒られても父親のためにと、彼なりに考え行動しては関係を悪化させる。
子どもは、親に気に入られようとする。生物が生き延びるための本能なのかもしれないが、親が子を守ろうとする以上に、子が親を思う心情は純粋に見える。その無垢な不器用さが、おなかの奥がぴりつくほど見る者に迫ってくる。
主人公は田舎町の、そこそこ裕福な家庭の子で、父親は聖書を暗記しているくらい厳格な人。別れた母親はいかがわしい店を経営して財を成し、父親は全財産を投じてキャベツの冷蔵保存で商売しようと試みていた。主人公は、言われてもないのに父親の仕事を手伝い、キャベツ運びに便利な道具を石炭の現場から盗んでくる。当然、盗品だと分かり、父親の不興を買う。力を借してもらおうとして人と会うのに、非常ベルを鳴らしたりもする。
キャベツの冷蔵保存に失敗した父親を助けようと、母親に金を借りに行く。借りた金を豆に投資する。若くしてビジネスの世界に飛び込んだしっかり者のようでもあるが、豆の値上がりを予測したのも人の話を鵜吞みにしただけで、自分で穀物相場をしっかり調べたわけでもない。投資でなく博打だ。
たまたま豆は高騰し大金を手にしたが、父親はその金を受け取らない。本当に父親を思うなら、どんな金なら喜んでくれるかを考えるべきだ。自分の行動が、相手にどう思われるか、どんな結果を招くか、考えずに行動すれば、結果は運次第。喜ばれると思ってした行為は、喜ばれなかった時はマイナスしか残らない。
若さとは根拠なき自信を持てることかもしれない。長く生きていれば、経験だけから学ぶ愚者であっても自信を持てる幅は狭まってくる。この作品の主人公は、豆の高騰にも薄い根拠で自信を持ち、父親が喜んでくれることにも根拠なく自信を持った。父親に関しては、これまでの言動を思い返せば、怒られるだろうと想像してもおかしくない。それを自分勝手な思い込みだけで、他者の心情を都合よく予想して行動した。
当人は精一杯、人のために行動しているのだけど、傍から見れば、ただただ自分勝手なだけだ。良くない結果になるのは目に見えている。兄弟の婚約者と親密になるような無作法までする。見ていて何度も、ちょっと落ち着け、立ち止まって考えろ、と言いたくなった。考える前に体が動いてしまう若者なんだから、周りの大人は適宜指導すればよさそうなものだが、周りの人たちもそれなりに自分の都合が先に立つ、子ども要素を持つ人たちではある。
若いうちは誰しも、周囲1尺ほどの視点で生きていて、それだけに根拠のない自信にあふれていられる。それで面倒を起こす存在であっても、腹を立てながら許してやれるのが親だ。表面では喧嘩しながら、線は切れない。会うことはなくても、胸の内にはいつも存在している。心地よい存在かどうかはともかく、離れられないのが親子だ。
この作品のラストでは、寝たきりで会話も覚束なくなった父親に、主人公が寄り添う。それが和解なのかどうかは分からない。しかし一方で、母親が生きていて、いかがわしい店を経営していることを知った兄弟は、精神を乱して汽車に飛び乗って行ってしまう。主人公はダメ人間に見えながら、自分がやっかいものである事実を認め、母親の現実も受け入れた。いやなことからも目をそむけてはいなかった。怒られても怒られても、父親に愛されたいという根源的な願いが、自分の奥底からあふれ出てくる事実と、素直に向き合うことのできる人だったのかもしれない。
