『大丈夫』という名の処方箋
診察室で日夜、患者さんと向き合っていると、挨拶と同じくらいの頻度で耳にするお決まりのフレーズがあります。
「先生、これって大丈夫ですか?」
レントゲンを撮った後、あるいはちょっと歯茎がチクチクしたとき、患者さんは実に不安そうな顔でこの質問を投げかけてきます。
実はこの言葉を聞くたび、私の頭の中にはある疑問が浮かぶのです。
――そもそも「大丈夫の基準」って何なんだろう?、と。
医学的な観点から言えば、例えば「今すぐ削る必要はない、ブラッシングでコントロールできる初期虫歯」は、文句なしに経過観察で「大丈夫」の範疇です。
だけど、超がつくほどの心配性の患者さんにとっては、口の中にほんのわずかでも虫歯が存在すること自体がホラーであり、ちっとも大丈夫じゃありません。
逆に、私から見れば「おいおい、これ放置したら近いうちに激痛で夜も眠れなくなるぞ」というレベルの深い虫歯であっても、本人が「今痛くないから」という理由だけで、平気な顔をして「大丈夫」と言い残して帰ることだってあります。
つまり、万人に共通する一律の「大丈夫」なんて基準は、
最初からどこにも存在しないのです。
「これって大丈夫ですか?」の意味。
じゃあ、なぜ患者さんはわざわざ私にそれを聞くのか。
彼らは純粋に、病状のシビアなパーセンテージや医学的エビデンスを知りたいわけではありません。
結局のところ、専門家に「大丈夫」って言って欲しいだけなのです。
今の時代、スマホで「歯の痛み 原因」なんて検索すれば、AIがいくらでも情報を教えてくれます。
だけど、AIやネットのまとめサイトやSNSの書き込みは、目の前の患者さんの不安を1ミリも背負ってはくれません。
調べれば調べるほど、最悪のケースばかりが目に入って、余計に足元が暗くなる。
だからこそ、プロである歯科医師の口から直接、
「大丈夫、心配ないよ」
というお墨付きをもらうことで、胸の奥に渦巻くモヤモヤした不安を綺麗さっぱり消し去りたい。
あの質問は、医学的な問いかけではなく、
「私を安心させてください!」という、切実な心理的SOSなのだろう。
だから、私たち歯科医師は、単にレントゲン写真だけを見て「あー、大丈夫大丈夫」と冷たくあしらっちゃいけない。
不安と安心と
その人が何を恐れ、何をもって「安心」とするのか。
その基準をちゃんと汲み取って、根拠を持って背中を押してあげること。
それもまた、麻酔を打ったり歯を削ったりするのと同等に、
重要な「治療」の一部に違いない。
医療の仕事は、病気を見つけ、治療することだけではありません。
患者さんが抱えてきた言葉にできない不安を、そっと受け止めること。
きっとこちらの方が、医療の本質なのだ。
