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noteが伸びない理由を「やり方」のせいにして、How to記事ばかり読んでないか?

最近、noteの書き方ばかり調べていないだろうか。

伸びるタイトルの付け方。読まれる導入文。収益化の方法。SNSからの流入。投稿する時間帯。有料部分への導線。

もっといいやり方があるんじゃないか。もっと効率的に伸ばせるんじゃないか。そう思って、またHow to記事を読む。

でも、その前に一つだけ聞きたい。

そもそも、面白い記事を書けているだろうか。

もし、この問いに少しドキッとしたなら。あるいは、なんとなく嫌な感じがしたなら、この先の話はたぶん読んでもらう意味がある。

これは、マーケティングや方法論が不要だという話ではない。

むしろ、方法論が簡単に手に入る時代だからこそ、私たちは「本当に向き合うべき問題」の代わりに、「やり方」を改善している気になっていないか、という話である。

本当に問題なのは、マーケティングだろうか

noteが伸びない。

そんなとき、「タイトルが悪かった」「SNSでの告知が弱かった」「投稿時間を間違えた」「有料化の設計が良くなかった」と考えることは簡単だ。

もちろん、本当にマーケティングの問題であることもある。

中身は十分に面白いのに、まだ知られていないだけ。届け方を少し変えれば、一気に読まれるようになる人もいるだろう。

ただ、その人はおそらく、マーケティング手法が多少悪くても、どこかでは伸びる。

なぜなら、そもそも中身に価値があるからだ。

一方で、記事の内容自体が陳腐で、訴求力がなく、品質も低いとしたらどうだろう。

どれだけタイトルを工夫しても、SNS導線を最適化しても、一時的に数字を作ることはできても、長く読み続けてもらうことは難しい。

小手先のテクニックは、10を12にすることはできるかもしれない。

でも、1を100にはしてくれない。

方法論は、すでにある価値にレバレッジをかけることはできる。

しかし、レバレッジをかける対象そのものが弱ければ、その効果にも限界がある。

「やり方が悪かった」は、とても便利な言葉である

ここが少し耳の痛いところだ。

結果が出なかった理由を、「方法が悪かった」と考えるのは精神的に楽である。

なぜなら、自分自身を疑わなくて済むからだ。

「自分の考える力がまだ足りないのではないか」

「そもそも十分な量を書いていないのではないか」

「自分にはまだ、他人がお金を払ってまで読みたいと思うものを作る力がないのではないか」

こうした問いは、かなりストレスフルだ。

改善対象が、タイトルや投稿時間ではない。

自分自身になる。

だからこそ、「今回の方法が良くなかった」という説明はとても魅力的である。

新しい方法を探せば、まだ失敗したことにはならない。

次の教材を買えばいい。別の勉強法を試せばいい。違うマーケティング手法を取り入れればいい。

そうやって、結果が出ない原因を方法へ移し替えることができる。

方法論は、改善手段であると同時に、責任の避難先にもなり得る。

これはnoteだけの話ではない

同じことは、いろいろな場所で起きている。

英語が伸びないから、新しい参考書を買う。もっと効率のいい学習法をYouTubeで探す。新しいアプリを入れる。

投資が不安だから、財テクを調べ続ける。新しい投資法、新しい情報源、新しい分析方法を探す。

仕事がうまくいかないから、生産性ツールを変える。新しいタスク管理法を試す。新しいフレームワークを学ぶ。

もちろん、方法を変えることで改善することはある。

ただ、本当の問題が「勉強時間が足りない」「基礎力が足りない」「経験が足りない」「そもそもの目標設定がおかしい」というところにあるなら、方法を変え続けても本質的には何も変わらない。

にもかかわらず、私たちは手に取りやすい変数だけを高速で変えてしまう。

参考書を変える。勉強法を変える。投稿時間を変える。タイトルを変える。

PDCAを回しているつもりになる。

でも実際には、回しやすいところだけでPDCAを回しているのかもしれない。

方法論が効くためには、基礎力がいる

方法論そのものを否定したいわけではない。

むしろ、基礎力がある人ほど方法論の恩恵を受けられる。

だからこそ重要なのは、「今の自分には、レバレッジをかけるだけの基礎力があるのか」を正しく認識することだと思う。

ただ、人間は自分に甘い。

自分の能力や努力量を、完全に客観視することは難しい。

本来であれば、そこで他者から率直なフィードバックを受ける必要がある。

先生、上司、師匠、コーチ。

これまでの教育や育成には、「今は基礎を磨く時期」「ここから応用へ進む時期」という順番を、ある程度外部の人間が管理する仕組みがあった。

ところが今は、その判断まで個人に委ねられている。

自分で教材を選び、自分で勉強法を選び、自分で課題を設定し、自分で改善する。

自由になった一方で、自分が見たくない課題を避けることも簡単になった。

今なら、AIにかなり批判的なフィードバックを求めることもできる。

生身の人間に「まだ基礎力が足りない」と言われるよりは、少し受け止めやすいかもしれない。

大事なのは、人間でもAIでもいいから、自分にとって都合のいい改善点だけではなく、複数の可能性を検証することだと思う。

方法、投入量、基礎力、経験、目標設定、そもそものアウトプットの品質。

そのすべてを改善候補として並べてみる。

方法論だけを高サイクルで回すことを、改善と呼ばない方がいい。

私たちは「迷う権利」を手に入れた

昔は、今ほど方法論が多くなかった。

英語を勉強したいなら、手元の参考書をやる。

文章を書きたいなら、とにかく書く。

選択肢が少ないから、良くも悪くも「やるしかない」状態だった。

今は違う。

個人の成功体験が、無限に見える。

「私はこの方法で伸びた」

「これをやったら月10万円稼げた」

「この勉強法で英語が話せるようになった」

その成功体験がどこまで再現性を持つのか、本当にその方法が成果の原因だったのかは分からない。

それでも私たちは調べる。

安心するために方法を探し、安心するために学び、安心するために次の方法を試す。

情報が増えたことで、私たちはより良い方法を選べるようになった。

同時に、迷い続けることもできるようになった。

「もっと良い方法があるかもしれない」と思い続ける限り、今の方法に腹を括る必要はない。

情報社会は、学ぶ自由だけではなく、迷う権利も与えてくれたのだと思う。

そして、「迷い」は市場になる

ここからは少し、ビジネス側の話になる。

方法論は商品として非常に売りやすい。

「毎日3時間勉強しよう」という話は、一度聞けば終わる。

でも、「最短で伸びる勉強法」「最新のnote攻略法」「知らないと損する収益化テクニック」なら、次々に新しい商品を作ることができる。

そして買う側にも、それを求める理由がある。

「あなたの基礎力が足りない」と言われるより、「方法が悪かっただけ」と言われた方が救われる。

売り手は、新しい方法を売り続けられる。

買い手は、自分自身を強く否定せずに希望を持ち続けられる。

その結果、両者の利害が噛み合ってしまう。

本来、教育や成長支援の最終的な成果は、そのサービスがなくても自分で考え、自分で課題を見つけ、自分で進める状態になることのはずだ。

独り立ちできることが、一番の成果である。

それにもかかわらず、利用者を迷わせ続け、次の方法を探させ続け、その依存そのものから利益を得るのであれば、それは健全な関係とは言いにくい。

迷うことそのものが市場になり、そこに情報の非対称性と依存関係が生まれる。

だからこそ、利用する側も、その構造を認識しておいた方がいい。

方法を探す前に、自分自身を見る

方法論が悪いわけではない。

マーケティングも、勉強法も、参考書も、AIも、うまく使えば強い道具になる。

ただ、その前に一度だけ考えてみたい。

本当に、やり方が問題なのだろうか。

そもそも十分にやっただろうか。

基礎力は足りているだろうか。

成果物そのものに価値はあるだろうか。

自分が見たくなくて避けている課題はないだろうか。

この問いは痛い。

だから、方法論を探す方が楽である。

でも、その痛みに向き合わないままでは、いつまでも違う参考書を買い、違うHow to記事を読み、違う方法を試し続けることになる。

方法論があふれる時代だからこそ、必要なのは「正しい方法をたくさん知ること」ではないのかもしれない。

自分には今、何が足りないのかを正しく診断できること。

そして、それが分かったなら、しばらく方法探しをやめて、やるべきことをやること。

たぶん、それが一番地味で、一番耳が痛くて、そして一番本質的な方法なのだと思う。

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