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【スペイン】サン・ヒネスの西ゴートのレリーフ

場所:サン・ヒネス小路、トレド
時代:7世紀

トレドの町

2022年12月に訪れたトレドの町は、首都マドリードから南へ70kmほど、アトーチャ駅からRenfe Avantという高速列車に乗って40分くらいという近さですので、日帰り観光もできますが、トレドは見どころが多すぎてとても1日や2日では足りませんでした。タホ川に囲まれている町全体が、さながら博物館であると言われるくらい昔の面影を残している旧市街は、世界遺産に登録されています。中世にはイスラム教・キリスト教・ユダヤ教の文化が交錯した地であり、ルネサンス期のスペインを代表するギリシア人画家のエル・グレコが活躍した町としても有名です。

ヘラクレスの洞窟(ローマ時代の貯水槽)

この地の歴史は古く、先史時代から人が住んでおり、ローマ帝国時代の属州ヒスパニアになってから町は「Toletum」と呼ばれるようになりました。ローマ滅亡後は、フン族に圧迫されて東からやってきた西ゴート族が南ガリアからイベリア半島にかけて征服し、560年にはトレドを西ゴート王国の首都としました。すでにキリスト教国であった西ゴート王国ですが、トレドでは西暦400年には第1回トレド教会会議が開かれており、589年の第3回会議では西ゴート王レカレド1世が、異端とされたアリウス派からカトリックに改宗したことでカトリックが優勢となり、その後もたびたび教会会議が開かれたことでトレド司教座の権威は高まり、イベリア半島全体におけるカトリック・キリスト教の首座大司教座となりました。しかし711年には、北アフリカから侵入してきたウマイヤ朝の指揮官ターリク・ブン・ジヤードによって西ゴート王国は滅ぼされ、トレドの町もイスラムの支配下に入ってしまいます。

西ゴートのレリーフが残されている壁面

そのような長い歴史をもつトレドの町中には、今でも西ゴート時代の史跡がたくさん残されています。そのひとつが「サン・ヒネスの西ゴートのレリーフ(Relieves visigodos de San Ginés)」と呼ばれているもので、サン・ヒネス小路(callejón de San Ginés)にある建物の壁に埋め込まれています。壁の後ろ側には、ローマ時代の大きな貯水施設である「ヘラクレスの洞窟(Cueva de Hércules)」と呼ばれる地下構造がありますが、これは古代ローマ時代の貯水槽として建造されたものです。西ゴート時代のこの場所には、おそらくキリスト教の教会があったと思われ、それがイスラム占領後にはモスクになったと考えられています。モスクの壁には西ゴート時代のレリーフ石板が再利用されていました。レコンキスタ運動によってキリスト教時代になると再びサン・ヒネス教会に改築され、文献でも1148年には教会として使用されていたことが言及されています。近代になってからは教会の建物が老朽化したため、1841年に解体されてしまいましたが、西ゴートのレリーフを含む入口部分の壁の一部は残されました。現在、その教会跡の敷地と洞窟という名称になっている古代の地下貯水槽跡は文化遺産になっており、歴史モニュメントとして公開されています。

西ゴートのレリーフ
ヴェネラ(ホタテガイ)形のレリーフ

この場所の歴史は、ローマ時代、西ゴート時代、イスラム時代、キリスト教支配という重層構造がみられる場所として、トレドという都市が持つ多文化の歴史を物語っています。石壁のレリーフは、ローマ後の西ゴート時代に作られた装飾的な石彫で、植物模様、円形模様、幾何学模様、ヴェネラ(ホタテガイ)形の貝殻模様などが見られます。特に植物模様は、葉や蔓など自然界の植物を抽象化・装飾化したデザインで、西ゴート建築ではこうした植物模様の装飾がよく用いられていて、同時期の他の西ゴート遺構(例:2023年7月17日投稿のキンタニーリャ・デ・ラス・ビニャス教会など)でも類似性がみられます。幾何学模様は、帯状のフリーズ(柱の上の水平部材)やインポスト(建築構造上の水平部材)など、建築装飾の典型的な用途で使用されており、古代ローマやビザンツからの影響を受けて発展してきた、ゴート建築装飾の継続性を示しています。また、一部のレリーフには十字架を模ったモチーフがありますが、それらの中には損なわれていたり、おそらくイスラム時代に削り落とされたりしているものもみられます。これらは単に装飾用として使われていただけではなく、後のモスクや教会の壁材として再利用されていた例とされています。


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