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第3話 葬式なんかするな

「俺の葬式は絶対にするな」
香月式典の打ち合わせ室に沈黙が落ちた。
香月飄は依頼書を見つめる。二度見した。三度見した。
そして顔を上げる。「……本当に書いてありますね」
向かいに座る女性が苦笑した。「主人らしいでしょう?」
故人の妻だった。隣には娘。二人とも困ったような顔をしている。
依頼書の一番上。遺言欄。太い字でこう書かれていた。
――俺の葬式は絶対にするな。
飄は思わず天井を見た。「源造さんが好きそうな案件だなぁ」
 
案の定だった。
式場へ戻るなり、源造は即答した。「本人の意思を尊重するべきだ」
花の仕分けをしながら言う。迷いはない。
「嫌だと言ったんだろ」
「まあ、そうですけど」
「なら終わりだ」
飄は椅子にもたれた。「でも遺族は送りたいんですよ」
「それは遺族の都合だ」
「葬儀って故人だけのものですか?」
源造の手が止まる。
飄は続ける。「残された人のためでもあるでしょう」
「違う」「違わない」「違う」「違わない」「違う」「違わない」
「飄」「はい」「黙れ」「はい」
一秒。
二秒。
三秒。
「でも――」「黙れと言っただろうが!」
式場に怒声が響いた。
 
翌日。
飄は故人宅を訪れていた。
田辺健司。
六十八歳。
元営業部長。
退職後は地域活動にも参加せず、自宅で静かに暮らしていたという。
家の中は驚くほど整っていた。
棚。机。本棚。書類。何一つ乱れていない。
まるで退職した会社員の教科書みたいな部屋だった。
「綺麗ですね」
飄が言うと、妻は笑った。
「几帳面だったから」
「そうみたいですね」
机の引き出しを開く。文房具が揃っている。封筒が揃っている。印鑑も揃っている。死後の手続き用らしき書類までまとめられていた。
飄は思わず呟いた。「準備が良すぎる……」
まるで。
死ぬ日を知っていたみたいに。
 
その時だった。
押し入れの奥に古い木箱が見えた。
飄は許可をもらい蓋を開ける。中には大量の封筒。輪ゴムで束ねられている。
差出人は全て同じだった。奥様。
つまり。
若い頃の妻からの手紙。
飄は一通だけ取り出す。開こうとして。止まる。
「いや駄目だろ」戻す。また取り出す。戻す。
葛藤。
最終的に負けた。少しだけ開いた。
そして。
「うわ」閉じた。
慌てて閉じた。耳まで赤くなった。
 
夕方。
妻へ尋ねる。「これ、大事に保管してたんですね」
妻は木箱を見て目を細めた。
「あら」少し驚いたようだった。「まだ持ってたのね」
「知らなかったんですか」
「とっくに捨てたと思ってた」
飄は木箱を見る。
輪ゴムは新しい。最近も触っていたのだろう。
「ご主人」
「はい」
「奥様のこと、好きだったんですね」
妻が吹き出した。「今さら?」
「いや、なんというか」
「本人は絶対言わなかったでしょう?」
「ええ」妻は頷いた。「照れ屋だったから」
「照れ屋」
「感謝されるのも苦手」「なるほど」
「褒められるのも苦手」「なるほど」
「泣くのも嫌い」「なるほど」
飄は少し考える。
そして。
何かが繋がった。
 
夜。
香月式典。祭壇の図面を描く源造へ、飄は言った。「分かりました」
「何がだ」
「どうして葬式をするなって言ったのか」
源造は顔を上げない。「何だった」
「主役になりたくなかったんです」
ペンが止まる。
飄は続ける。「この人、人前が苦手なんですよ」「死んでからまで注目されたくなかった」「だから葬式を嫌がった」
源造は腕を組んだ。「だったらやはり――」
「でも」飄が遮る。「奥さんと娘さんは別れを言いたい」
沈黙。
「だから葬式はしません」
「は?」
「お別れ会です」
源造が呆れた顔をした。「屁理屈だな」
「褒め言葉ですね」
 
当日。
祭壇はなかった。
正確には、いつもの祭壇ではなかった。
中央にあるのは遺影ではない。古びた木の椅子。その横に万年筆。腕時計。読みかけの本。家族写真。
まるで故人の書斎だった。
参列者たちは驚いた。そして笑った。
「田辺さんらしいな」
「本当に」
「ここに座ってそうだ」
遺影だけが静かに見守っている。
誰も泣き叫ばない。みんな笑っている。思い出話をしている。
まるで本人が隣の部屋にいるみたいに。
 
終わる頃。
妻が飄へ近づいた。
目は少し赤い。けれど笑っていた。
「主人、怒ってないかしら」
飄は考える。少しだけ。
そして答えた。「怒ってますね」
妻が吹き出した。「やっぱり?」
「こんなに人集めて何してるんだって」
「言いそう」
「でも」飄は会場を見る。
笑い声。思い出話。別れの言葉。
「ちょっとだけ嬉しいと思います」
妻の目から涙がこぼれた。
今度は笑顔のまま。
 
片付けが終わった夜。
源造がぽつりと言った。「遺言は守ったのか」
飄は笑う。「守りましたよ」
「葬式はしてません」「お別れしただけです」
源造は鼻を鳴らした。「屁理屈だ」
「褒め言葉ですね」
「違う」「同じです」「違う」「同じ」「違う」「同じ」
そこへ。
事務所のドアが開いた。嫌な予感がする。
小百合だった。
「……二人とも」
源造と飄が同時に振り向く。
「いつまでやってんの?」
二人は顔を見合わせた。
そして。
珍しく同時にため息をついた。
小百合は楽しそうに一枚の依頼書を置く。
飄が読む。
数秒後。
固まった。
「源造さん」「なんだ」「次のお客さん」「うん」
「元演歌歌手です」
源造の眉が動く。「だから何だ」
飄は依頼書を差し出した。そこにはこう書かれていた。
――最後はステージの上にいるみたいに送ってあげたい。
源造は黙った。飄も黙った。
しばらくして。
二人同時に言った。
「面倒だな」

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