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第4話 最後のステージ

「母は、歌うことだけが生きがいでした」
香月式典の打ち合わせ室で、娘はそう言った。
香月飄は依頼書から顔を上げる。目の前の女性は五十代半ばだろうか。
どこか遠くを見るような顔は、小さく微笑んでいた。
その笑顔の奥には、長い介護を終えた人特有の疲れが見えた。
「お母さまは演歌歌手だったんですね」
「ええ」娘は頷く。「昔はこの辺じゃ結構有名だったんですよ」
依頼書には名前があった。
松永麗子。
享年七十六。
元演歌歌手。
地方巡業を中心に活動し、地元では知らない人がいないほどの人気を誇ったという。
飄は資料をめくる。
若い頃の写真。スポットライトの下で歌う姿。華やかな笑顔。まるで別世界の人だった。
「ご希望は?」
娘は少しだけ迷ってから言った。「最後は」そして笑う。
「ステージの上にいるみたいに送ってあげたいんです」
 
案の定だった。
「却下だ」式場へ戻るなり、源造が言った。
「まだ何も言ってませんけど」
「顔に書いてある」
飄は椅子に座った。「ステージ風の祭壇ですよ」
「葬儀場はコンサートホールじゃねぇ」
「いいじゃないですか」「良くねぇ」
「絶対映えますよ」「不謹慎だ」
「褒め言葉ですか?」「違う」
源造は白菊を選別しながら続けた。「故人を送る場所だ」
「だからですよ」飄は資料をひらひら振る。「この人の人生そのものじゃないですか」
源造は鼻を鳴らした。「まずは調べろ」
「はいはい」
 
故人宅は意外なほど静かだった。
歌手の家。もっと派手なものを想像していた。
トロフィーが並び。賞状が飾られ。ポスターが貼られている。そんな部屋を。
だが現実は違った。
写真は少ない。レコードもない。歌手だった痕跡がほとんどない。
飄は首を傾げる。「本当に歌手だったんですか?」
娘が苦笑した。「そう思いますよね」
そして少しだけ表情を曇らせる。「十年前に病気をしてから、歌わなくなったんです」
「病気?」
「声帯です」
飄は黙った。
「それからは歌も聴かないし、昔の映像も見ないし」娘は窓の外を見る。「たぶん、嫌いになったんだと思います」
 
帰ろうとした時だった。
押し入れの奥に段ボール箱が見えた。
「それは?」
「ああ」娘が笑う。「衣装です」
箱を開ける。派手だった。
金糸。銀糸。スパンコール。舞台照明を受けるために作られた衣装たち。まるで宝箱だった。
飄は一着ずつ眺める。
そして。
一番下で手が止まった。
古いカセットテープ。ラベルに手書き文字。『デビュー前』
飄は顔を上げる。「聞いても?」
娘が頷いた。
 
再生ボタンを押す。
ザーッというノイズ。そして。
歌声。若い。荒削り。音程も少し不安定。
けれど、楽しそうだった。
歌が上手いからじゃない。歌うことそのものが嬉しい。そんな声だった。
飄は目を閉じる。
そして気づく。
違う。
この人は。歌を嫌いになったんじゃない。歌えなくなった自分を見るのが辛かっただけだ。
 
同じ頃。
源造も動いていた。珍しく現場を離れ、昔の関係者を訪ね歩いていた。
ファンクラブ会長。元マネージャー。地方会館のスタッフ。皆が口を揃えて言う。
「麗子さんは楽しそうだった」
「歌う時ですか?」源造が尋ねる。
すると皆、首を振った。
「違う」
「え?」
「舞台袖だよ」
「開演前」
「客席を覗いてる時」
「一番嬉しそうだった」
源造は考え込む。
歌。ではない。客だった。
彼女が愛していたのは。
 
翌日。
香月式典。
飄は勢いよく図面を広げた。「ステージです」
源造も別の図面を置く。「客席だ」
「は?」「客席だ」「ステージです」「客席」「ステージ」「客席」「ステージ」「客席」「ステージ」「客席」「ステージ!」
二人とも立ち上がる。
その瞬間。
事務所のドアが開いた。嫌な予感しかしない。
香月小百合だった。
二人を見て。図面を見て。一言。「いつまでやってんの?」
静かだった。だが二人は同時に着席した。
「……失礼しました」「はーい」
小百合は図面を拾い上げる。しばらく眺める。
そして。
「両方やれば?」それだけ言って去っていった。
沈黙。
飄と源造は顔を見合わせる。
そして。
「それだ」
同時だった。
 
告別式当日。
会場へ入った参列者たちは足を止めた。
祭壇がいつもと違った。中央には舞台。花で作られたステージ。その中心に遺影。
だが、本当に驚くのはその前だった。
献花台が半円状に並んでいる。まるで客席。参列者が花を手向けるたびに客席が埋まっていく。
一席。
また一席。
また一席。
花の観客たちが増えていく。娘は呆然と立ち尽くしていた。
やがて。
ぽつりと呟く。「満席だ」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。だが隣にいた飄には聞こえた。
娘は涙をこぼす。「お母さん」
祭壇を見上げる。スポットライトの代わりに柔らかな照明。満席の客席。中央の笑顔。
「良かったね」声が震える。「満員だよ」
後ろから年配の男性が笑った。昔からのファンだった。
「開演だな」
周囲が笑う。泣きながら。笑う。その光景を見て、飄も笑った。
そして少し離れた場所では。源造も祭壇を見ていた。何も言わない。
ただ。ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
 
式が終わった夜。
飄は片付けをしながら言った。「今回は共同優勝ですね」
源造は即答した。「不本意だ」
「でも客席案良かったですよ」
「お前のステージも悪くなかった」
飄が固まる。
「今」「なんだ」「褒めました?」
「気のせいだ」「褒めましたよね?」「気のせいだ」「録音したかった」
「飄」「はい」「黙れ」「はい」
三秒後。
「でも――」「黙れと言っただろうが!」
怒声が響く。
その瞬間。事務所のドアが開く。
源造と飄は反射的に姿勢を正した。
小百合だった。「学習しないわねぇ」
呆れながら一枚の依頼書を置く。
飄が手に取る。読む。固まる。
「源造さん」「なんだ」
「次のお客さん」「うん」
「元プロレスラーです」
源造が眉をひそめる。
飄は続きを読む。そして吹き出した。
依頼書にはこう書かれていた。
――リングの上にいるみたいに送ってほしい。
沈黙。
源造は天井を見上げた。
飄は満面の笑みだった。
「面白そうですね」
「面倒だ」
 
白菊の香りの中で。香月式典の次の戦いが始まろうとしていた。

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