第2話 父らしい祭壇
「父らしい祭壇にしてください」
香月式典の打ち合わせ室に、その言葉だけが残った。香月飄は依頼書から顔を上げた。
向かいには三人。疲れた表情だが小綺麗な姿の妻。四十代後半の長男。少し年の離れた長女。誰もが困った顔をしていた。
飄はボールペンを回しながら尋ねる。「お父さまの趣味は?」
三人が顔を見合わせる。
沈黙。
最初に口を開いたのは長男だった。「……特になかったと思います」
「休日は?」
「仕事です」
長女が苦笑する。「平日も仕事でしたけどね」
「好きだったものは?」
また沈黙。
妻が小さく息を吐く。「主人はね……本当に仕事ばかりの人だったんです」
飄は依頼書へ目を落とした。
山田孝一。
七十四歳。
元製造業経営者。
それ以外はほとんど空白だった。
打ち合わせが終わると、飄は式場へ戻った。祭壇では源造が花の選定をしている。
飄は資料を差し出した。「難しいですよ」
源造は目も向けない。「だから面白いんだろ」
「また無茶振りを」
「お前の好きな『その人らしさ』だ」
源造は白菊を一本抜き取った。「探してこい」
飄は肩をすくめた。「はいはい」
翌日。
飄は故人宅を訪れていた。
四十九日までの間だけ残されるという部屋。
整然としていた。
机。本棚。箪笥。どこにも乱れがない。
まるで今でも主人が生活しているみたいだった。
飄は本棚へ近づく。
背表紙の高さが揃っている。
机の引き出しを開く。
文房具が一直線に並んでいる。腕時計のケース。磨かれている腕時計。靴箱。革靴が綺麗に手入れされている。
「几帳面だなぁ」思わず呟く。
すると後ろから妻が言った。「主人らしいでしょう?」
「そうですね」飄は頷く。
だが何かが引っかかった。
几帳面。真面目。仕事人間。
それは分かる。けれど、それだけで七十四年を説明できるだろうか。
縁側へ出た時だった。飄の足が止まる。
庭の隅。小さな花壇。季節の花が植えられていた。
派手ではない。けれど丁寧に手入れされている。土も柔らかい。雑草もない。
飄はしゃがみ込んだ。「これ、誰が?」
妻が答える。「主人です」
「へぇ」
「定年してから始めたんです」
「好きだったんですね」
妻は首を傾げた。「どうかしら」
「え?」
「本人は好きだなんて言わなかったから」
飄は花壇を見つめた。
花は嘘をつかない。放っておけば枯れる。毎日見ていなければ育たない。
好きじゃなければ続かない。
その夜。
香月式典。源造は祭壇の設計図を書いていた。
飄は花壇の写真を机へ置く。「見つけました」
源造が写真を見る。「花壇か」
「花壇です」
「それだけか」
「それだけです」
源造は鼻を鳴らした。「人生を語るには弱いな」
飄は椅子に腰掛けた。「そうですか?」
「仕事人間だったんだろ」
「じゃあ聞きますけど」
飄が言う。「仕事以外に何もなかった人なんですか?」
源造は答えない。
飄は続ける。
「毎日水をやって」「雑草を抜いて」「季節ごとに植え替えて」「誰に見せるわけでもない」「それって結構すごいですよ」
源造の手が止まった。
飄は気づかないふりをする。「僕は好きですけどね」
静かな沈黙が流れる。
やがて源造が言った。「……花は何を育てていた」
飄が笑う。「興味あるじゃないですか」
「質問に答えろ」
「はいはい」
通夜当日。
祭壇が完成した。
正面には白菊。左右対称。一切の乱れがない。源造が作る完璧なライン。
だが中央だけが違った。
故人が育てていた季節の花。派手ではない。小さな彩り。
けれど不思議と目を引く。
飄は祭壇を見上げた。「いいですね」
源造は腕を組む。「当たり前だ」
「認めました?」
「何をだ」
「揺らぎ」
源造は答えない。その代わり祭壇を見た。
中央の花だけが少し柔らかい。少しだけ不揃い。少しだけ人間らしい。
告別式。
焼香が終わり、家族が祭壇の前へ立つ。
長女が目を丸くした。「あ……」
妻も気づく。「この花……」
長男が振り返る。「庭の花だ」
誰も言葉を続けない。
しばらくして。妻が小さく笑った。「毎朝ね」
二人の子供が母を見る。
「お父さん、私より早く起きて庭に出てたの」
「え?」
「知らなかった?」
長男と長女が同時に首を振る。
妻は祭壇を見上げる。少し涙ぐみながら。「花なんて興味ないと思ってた」
長女が笑う。「私も」
「でも」長男が呟く。「父さんらしいな」
その言葉を聞いた瞬間。妻の涙がこぼれた。
式が終わった。
参列者も帰り、静かな式場が戻ってくる。
飄は片付けながら言った。「今回は僕の勝ちですね」
源造が振り返る。「勘違いするな」
「え?」
「花の配置は全部俺だ」
飄が吹き出した。「そこですか」
「そこだ」
「器が小さいなぁ」「誰のだ」「源造さんの」「飄」「はい」「黙れ」「はい」
三秒後。
「でも――」「黙れと言っただろうが!」
式場に怒声が響く。
その時。
事務所のドアが開いた。二人が固まる。
香月小百合が顔を出す。そして一言。
「……二人とも」
嫌な予感しかしない。
「いつまでやってんの?」
源造が頭を下げる。
飄も手を挙げる。「はーい」
小百合は満足そうに頷いた。そして一枚の依頼書を置く。「次ね」
飄が手に取る。内容を読んだ瞬間、眉が上がった。
【故人の遺言】
『俺の葬式は絶対にするな』
沈黙。
飄が顔を上げる。源造を見る。
源造も依頼書を見る。
そして。
「面倒だな」「面倒ですね」
珍しく意見が一致した。
小百合だけが楽しそうに笑っていた。
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