赤という色は、いつも少しだけ騒がしい。
街中で見かけても、画面の中にあっても、
静かにそこに収まることをしない。
否応なく視界に入り、感情を揺らし、通り過ぎたあとも微かに残る。
人間が最初に「色」として認識したのが赤だったという話を聞いて、
私はどこか納得してしまった。
血の色、火の色、沈みゆく太陽の色。
生と死、始まりと終わり、そのどちらにも赤は存在している。
人類はきっと、言葉を持つより前に、
赤を見て「これは特別だ」と感じていたのだろう。
洞窟の壁に描かれた赤土の線は、
単なる装飾ではなく、祈りに近いものだったのかもしれない。
狩りの成功を願う気持ち、
明日も生き延びたいという切実さ。
赤は、生きることへの執着そのものだった。
やがて文明が生まれ、社会が形を持つと、
赤は力の象徴へと姿を変える。
限られた者だけが身にまとうことを許され、
富や権威、神聖さを纏わされていく。
赤は「選ばれた色」になった。
日本においても、赤は境界に立つ色だ。
鳥居の朱は、日常と非日常のあいだに立ち、
赤飯は、平凡な日々と祝いの瞬間を分ける。
赤はいつも、こちら側と向こう側を隔てている。
面白いのは、赤が常に相反する意味を抱えていることだ。
祝福であり、警告でもある。
愛の色であり、怒りの色でもある。
人は赤に、最も強い感情を投影してきた。
だから赤を好むということは、
きっと「強く生きたい」と願うことに近い。
目立たなくてもいい、と言いながら、
本当はどこかで、自分の存在を確かめたがっている。
私が赤に惹かれた理由も、
突き詰めればそこに行き着くのかもしれない。
背景に溶けるより、浮き上がっていたい。
無難に収まるより、多少の違和感を抱えていたい。
赤は主張する色だ。
そこにあることを、黙ってはいられない色だ。
好かれるか、嫌われるか。
どちらかに振り切れてしまう、その不器用さが、
どこか人間らしくもある。
色の好みは変わる。
経験が増え、守るものができ、
あるいは何かを失ったとき、
惹かれる色もまた、静かに変わっていく。
それでも今、この瞬間に赤を選んでいる自分は、
確かにここにいる。
赤の歴史を辿りながら、
私はそんな当たり前の事実を、
もう一度、確かめていた。
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