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宇多田ヒカルの新曲について考える。

宇多田ヒカルさんの新曲「mine or yours」の歌詞に、「夫婦別姓」が歌われていることで賛否両論が見られます。


色々な解釈の仕方があるのでしょうが、全体の歌詞を見てみて、別姓にとどまらず、もう少し幅広いテーマを歌っているように私は読みました。


確かに、「いつになったら夫婦別姓OKされるんだろう」というのは、その時点では別姓の可能性がないことを嘆いているように見えます。


一方、その後の歌詞では、「自由に慣れれば慣れるほど 不自由だって、どうして誰も教えてくれなかったの」とも歌っているわけです。


この歌詞に歌われているカップルが、結婚しているか否かは、歌詞からはすぐには読み取れません。

ですが、いずれにせよ、二人はお互いの距離感、あり方、関係性を探りながら生きているように読み取れます。


私は、むしろ、そこがこの歌のメインテーマなのではないかと感じました。

異なる個人の間には差異があって、そこに恐る恐る、でもなんとかして向き合おうとする人間の心を歌っているのではないか。


おそらく、別姓が可能であろうとなかろうと、「自由に伴う不自由さ」は、消えることはありません。


でも、「君はコーヒー 僕は緑茶」で、その差異を認めて、尊重して、「恐る恐る」「掛け違えたボタンを外」しながら、一緒に生きていくという歌なのではないかと思うのです。


家族の形も、夫婦(カップル)のあり方も、個人の生き方も、一通りではありません。

自己と他者の自立と共存。そこにある不確実性。それを乗り越えた先にある「いつもの」日常。


自由の不自由さを感じつつ、それを受け入れて、2人の日常を生きていく。

自立した、意思によってつながる恋愛を描いているのではないか。そこには、他律でつながる恋愛とはまた違う難しさがあるはずです。


歌詞では、二人のお互いへの好意を、分かりやすい言葉で表現はしていません。でも、それでも一緒に生きていく「僕」の意思は読み取れる。それで良いのだと思います。


夫婦別姓は、目的ではありません。手段です。

自立した個人が、誰と、どう生きるか。

そこには不確実性もあるけれど、自己も、他者も、大切にしながら生きていく尊さがここにはあります。


「自分を大切にしながら」「君も大切にする」。

そういう難しいテーマに、それでも向き合おうとすることは、人間の成熟であり、社会の成熟ではないでしょうか。


選択的夫婦別姓も、そういう自分と他者との関係性を模索しながら、お互いがより良く生きていくための一つの手段に他なりません。


そういう風に、選択肢を増やすことは、不確実性の渦に飛び込むことにもなります。

それでも、僕が僕、君が君でありながら、一緒に生きていける社会を作りたい。


その勇気、その意思に、人間の尊さがあると、私は思っています。そうゆう成熟した社会を目指したい。

そうした意思を、カップル目線の等身大の言葉で表現したのが、「mine or yours」なのではないではないかと思いました。

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