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「伝わらない」の正体は、理解力じゃなかった

「ちゃんと説明したはずなのに、なぜか伝わらない」

経営者になって15年以上経ちますが、この感覚は今でもふとした瞬間に襲ってきます。
会議で丁寧に方針を説明したつもりなのに、現場からは思ってもみなかった反応が返ってくる。
1on1で言葉を選んで伝えたつもりなのに、メンバーの表情がどこか曇っている。

最初の頃は、自分の説明力が足りないんだと思っていました。
もっと分かりやすく、もっと具体的に、もっと丁寧に。
資料を作り込んで、たとえ話を用意して、言葉を尽くせばいつか伝わるはずだと信じていました。。。

あるいは逆に、相手の理解力の問題だと考えてしまったこともあります。「なんでこれくらい分かってくれないんだろう」
「何度も言っているのに」と。
正直に言えば、心のどこかで相手を責めていた瞬間もありました。

説明を変えても、言い方を変えても、根本的なすれ違いだけは解消されない。そういう経験を何度も重ねる中で、あるとき、そもそも自分の捉え方そのものがずれていたのではないかと思うようになりました。

伝え方の問題でも、理解力の問題でもない。
だとしたら、いったい何が起きていたのでしょうか。

フレーム・オブ・リファレンスという視点

伝わらないという現象を、もう一段階分解してみると見えてくるものがあります。それは、そもそも自分と相手が「同じもの」を見ていないのではないか、という視点です。

言葉は同じでも、その言葉が指している景色が違う。だとしたら、いくら説明を工夫しても、根本的なズレは埋まりません。


心理学やコミュニケーション理論の世界に、「フレーム・オブ・リファレンス(参照枠)」という概念があります。

人は、目の前で起きている事実をそのまま受け取っているわけではありません。自分が積み重ねてきた経験、置かれている立場、背負っている責任、心のどこかにある恐れ。
こうしたフィルターを通してはじめて、その事実に「意味」を与えています。

つまり、同じ出来事や同じ言葉であっても、そこに何を見るかは人によってまったく違う。
私たちは無意識のうちに、自分の参照枠というレンズを通してしか世界を見ることができないのです。

これは、誰かの理解力が高いか低いかという話ではありません。
人間である以上、避けようのない構造そのものなのだと思います。

面白いのは、このズレは悪意やすれ違いを望んでいるから起きるのではない、という点です。
むしろ両者とも、自分なりに誠実であろうとしています。
経営者は組織の未来を思って「変えたい」と言い、現場のスタッフは日々の業務を守ろうとして身構える。
どちらも間違っていない。
ただ、拠って立っている場所が違うだけなのです。

だからこそ、参照枠のズレは「正す」ものではなく、「知る」ものなのだと思います。
相手の景色を否定するのではなく、まず自分とは違う景色があるという前提に立つこと。そこが出発点になります。


現場で見てきた、景色の違い

数百名の組織をまとめてくる中で、この参照枠のズレによるすれ違いを、数えきれないほど見てきました。

たとえば、経営者である私が「変えたい」と口にするとき。
それは未来への備えであり、成長のための前向きな意思のつもりです。
10年後も現場が回り続けるために、今のうちに手を打っておきたい。
そういう思いで発した言葉のつもりでした。

けれど、現場のスタッフにはまったく違う響き方をすることがあります。「また負担が増えるのか」
「今でも手一杯なのに」
という予兆として届いてしまう。
同じ「変える」という言葉なのに、見ている時間軸も、抱えている不安もまるで違うのです。

あるいは、「主体的に動いてほしい」という言葉。
私としては、相手の可能性を信じて任せたいという気持ちで発しています。裁量を任せることは、信頼の表明のつもりでした。
でも受け取る側からすると、「何が正解か分からないのに、それを見つけて動けと言われている」という、正解の見えない要求に聞こえてしまうことがある。
任されたことが嬉しいのではなく、放り出された不安の方が先に立ってしまうのです。

もうひとつ、これは自分自身への戒めでもあるのですが、立場が上がれば上がるほど「これくらい察してくれるだろう」という省略が増えていきます。忙しさもあって、細かい背景や意図を伝えきらないまま指示だけを出してしまう。
その省略の積み重ねが、いつの間にか「会話はあるのに、対話がない」組織をつくってしまうのだと思います。

さらに、こんな場面もありました。
ある管理職がチームメンバーに「もっと報連相してほしい」と伝えたところ、部下は毎日こまめに細かい進捗を送るようになった。
ところが管理職が本当に求めていたのは、判断に迷った時点での早めの相談であって、日々の作業報告ではありませんでした。
同じ「報連相」という言葉なのに、片方は「頻度」の話として受け取り、もう片方は「タイミング」の話として発していた。言葉の定義そのものが、参照枠によってズレていたのです。

こうした場面に共通しているのは、誰も悪気がないということです。
それぞれが自分の立場から、誠実に言葉を発し、誠実に受け取ろうとしている。にもかかわらず、景色が違うだけで、すれ違いが生まれてしまう。


すり合わせ不足という気づき

こうした場面に何度も直面するうちに、ひとつの気づきに辿り着きました。

「分かってもらえない」という感覚の正体は、たいてい相手の拒否でも、無関心でもない。
ただ、お互いの参照枠をすり合わせる工程が足りていなかっただけなのだと。

正しさを積み上げれば伝わる、というのは幻想でした。
相手が何を大切にしていて、何を守ろうとしていて、何に不安を感じているのか。
そこを知ろうとしないまま、自分の正しさだけを重ねていっても、話は噛み合いません。
むしろ、正しさを主張すればするほど、相手は自分の景色を守ろうとして防御的になり、対話の扉はさらに閉じていきます。

伝える技術を磨く前に、相手の景色を覗きにいく。
その順番を間違えていたのだと思います。

これは口で言うほど簡単なことではありません。
相手の参照枠を知るためには、こちらが一度、自分の正しさを脇に置く必要があるからです。
特に経営者やリーダーという立場にいると、自分の言葉が最終的な答えだと無意識に思ってしまいがちです。
だからこそ、意識的に「自分にはこう見えているけれど、相手にはどう見えているだろうか」と問い直す習慣が要るのだと感じています。


分かってもらえないと感じたら

もし今、誰かに「分かってもらえない」というもどかしさを感じているなら。それは、あなたの説明が下手なわけでも、相手の理解力が低いわけでもないかもしれません。

ただ、お互いが違う景色を見ているだけ。

だとしたら、次にできることはひとつです。
自分の正しさを重ねる前に、相手がどんな立ち位置からその言葉を聞いているのか、少しだけ想像してみる。
「この人は何を守ろうとしているのだろう」
「何に不安を感じているのだろう」と、問いを自分に向けてみる。

その小さな余白が、対話をもう一度動かしてくれるのだと思います。
伝わらないことに焦って言葉を重ねるより先に、まず立ち止まって相手の景色を覗きにいく。
遠回りに見えて、実はそれが一番の近道なのかもしれません。

みなっく(皆川敬)
サニーウィンググループ代表/ICF認定コーチ
QanvasLab主宰

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