「家族間の問題」は、誰が終わらせるのか──祖母の死から10年、相続と終活を考える──464日
祖母が亡くなって、今年で10年になる。
10年という時間を振り返って、私は改めて一つの疑問を持っている。
この問題は、本当に「家族間の問題」という言葉だけで整理できるものだったのだろうか。
もちろん、相続は家族の問題である。
親が亡くなり、その財産を子が承継する。
遺言があれば、その内容を確認し、必要であれば相続人同士で話し合う。
その意味では、本件も確かに家族間の財産問題だった。
しかし私は、そこに一つの違和感を持っている。
それは、
「家族間の問題である」という言葉が、「だから制度はそれ以上関与しなくてよい」という意味に変わってしまってはいないか。
という疑問である。
かつて日本には家督相続という制度が存在した。
現在の民法に、かつての家制度や家督相続がそのまま残っているわけではない。
だから、現在の長男に旧家制度の「家長」としての法的義務が当然に課される、と私は主張したいわけではない。
それでも考えさせられることがある。
家督という制度には、財産や家の地位を承継することと同時に、「家を維持する」という考え方が存在していた。
ところが現在の相続では、財産の名義が一人に集中した場合、それがいつの間にか、
「名義を取得した以上、その財産はその人だけのものであり、その後の家族関係とは切り離して自由に扱ってよい」
という理解に変わってしまうことがある。
本当に、それだけでよいのだろうか。
私はここに疑問を持っている。
もちろん、相続した人に、法律に存在しない義務を後から課すことはできない。
「長男だから親族全員の面倒を見る義務がある」
という話でもない。
しかし一方で、相続によって取得するものは、積極財産だけとは限らない。
相続財産に属する債務があれば、それも問題になる。
遺言があれば、その内容をどう実現するのかという問題が生じる。
共有関係や第三者の権利が残っていれば、それも名義だけで消えるわけではない。
そして何より、前の世代で整理されなかった財産関係は、名義を一人に移しただけでは必ずしも消滅しない。
だから私は、
「長男が相続したのだから責任を負え」
と言いたいのではない。
むしろ逆である。
相続によって何を取得し、何を負担し、何が未精算のまま残っているのかを、次の世代へ送る前に明確にする必要があるのではないか。
という問題を提起したいのである。
そして、この問題を考えるほど、遺言の重要性についても考えさせられる。
遺言は単に、
「この不動産を誰にやる」
「預金を誰にやる」
と書けば終わるものではないと思う。
家族の相続だからこそ、可能な範囲で生前に財産状況を整理し、債務を確認し、本人の意思を明確にし、必要であれば家族とも話し合う。
そして、
自分が亡くなった後、残された人たちが何を処理しなければならないのか。
そこまで考えて設計することが、本当の意味での終活ではないだろうか。
遺言によって争いを終わらせるはずが、遺言そのものが次の争いの入口になってしまっては意味がない。
財産を残すことだけが相続ではない。
問題を残さないこともまた、次の世代に対する重要な承継なのではないか。
私はそう思う。
祖母が亡くなってから10年。
その間、この問題は裁判にもなった。
代理人も関与した。
それでも結果として、家族が抱えていた問題を完全に受け止め、次の世代へ持ち越さない形で整理する受け皿にはならなかった。
もちろん、裁判所は家族そのものを再建する機関ではない。
代理人にも、依頼された範囲を超えて一族全体の問題を解決する義務が当然にあるわけではない。
だからこそ、私はここで誰か一人を責めたいのではない。
私が考えたいのは、もっと構造的な問題である。
「家族間の問題」と整理された問題が、結局どこへ行くのか。
裁判所が、
「これは家族間で処理すべき問題である」
と整理する。
しかし家族の中で処理できない。
時間だけが経過する。
当事者は高齢になる。
病気になる。
判断能力や財産管理という新しい問題まで発生する。
そして前の世代で整理されなかった問題が、次の世代へ送られていく。
そこで再び、
「これは家族間の問題です」
と言われる。
もしそうなるのであれば、「家族間」という言葉は問題を解決するための分類ではなく、責任の行き先を曖昧にしたまま次の世代へ問題を押し流す言葉になってしまう危険がある。
私は今回の経験から、そのことを強く考えるようになった。
相続とは、財産を渡すことだけではない。
自分の世代で発生した財産関係を可能な限り整理し、
誰の財産なのか。
誰に対する債務があるのか。
何が未精算なのか。
本人は残った財産をどうしたいのか。
それを明確にして、次の世代へ渡す。
それこそが、最もきれいな承継なのではないだろうか。
そして私は、それを**「終活」と呼びたい。
生前に生じた問題は、可能な限り生前に整理する。
自分で整理できるうちに財産目録を作る。
債務を確認する。
家族と話す。
必要なら専門家を入れる。
そして最後に、残った自分の財産について、自分の意思を遺言として残す。
その順序なら、遺言は争いの始まりではなく、本来の意味での「最後の意思」**になれる。
家族だから曖昧にしてよいのではない。
私はむしろ逆だと思う。
家族だからこそ、曖昧なまま次の世代へ渡してはいけない。
祖母が亡くなって10年。
この10年間を振り返って、私が最後にたどり着いたのは、その極めて単純な結論だった。
財産を子孫へ残すことだけが相続ではない。
問題を整理してから子孫へ託すこともまた、相続である。
そして、その準備を生きているうちに終わらせることこそ、私は「きれいな終活」なのではないかと思っている。
