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胃瘻は美容ドリンク?ツヤツヤの真相✨

第9章
パパの再々出発


光栄病院へ転院後に告げられた
「もう一度、胃瘻を造設しましょう」
また胃瘻を増設することは、残念ではありましたが、
胃瘻は敗北ではありません。
私たちが、もう一度立ち上がるための土台となったのです。

第4話 胃瘻は美容ドリンク?ツヤツヤの真相✨



9月9日。
パパは再び胃瘻造設のため、S病院へ転院しました。

食事がまったく摂れないわけではない。
でも、経口摂取だけでは体重が減っていく。
そのための胃瘻造設であることは、きちんとS病院にも申し送りされていました。

そして、無事に胃瘻を増設し、9月29日に光栄病院へ戻りました。
入院期間は20日間でした。

戻ってから数日後、担当医から連絡がありました。

「やはり、若干の反応の低下はあります」

刺激の少ない環境だった影響でしょう、とのことでした。

そして、もう一つ。

S病院では食事が摂れていたため、胃瘻からの栄養投与は行われていなかった、というのです。

「お伝えしてあったのですが……」
「結果として、体重は少し減って戻ってきました。」


先生も栄養士さんも、どこか悔しそうでした。
正直、がっかりしました。

でも先生は、言いました。

「これからです。 ひとつ不安は減りましたね」

胃瘻は無事に造設できた。
土台は整った。

そして、もうひとつ提案がありました。

「本来、骨折での入院期間は残りわずかです。
ですが、このままご自宅へ戻すことはできません。
改めて“廃用症候群”として、最大3ヶ月リハビリを続けましょう

リハビリ病院の入院期間は、病名によって決まっています。

蘇生後脳症は6ヶ月。
骨折は3ヶ月。
廃用症候群も3ヶ月。

パパは骨折で入院し、2ヶ月目に20日間別の病院へ転院しました。
このまま骨折扱いでの入院では、残りの日数はほとんどありませんでした。

でも、入院期間を“廃用症候群”として再設定してくれたのです。

遠回りのようでいて、 ここからが本当の勝負でした。
家に帰る日は、また延びました。
でも、不安よりも、期待のほうが、少し大きくなっていました。


光栄病院に戻り、 胃瘻と経口摂取の両方で栄養を摂るようになったパパは、少しずつ体重が増えていきました。

なかなか面会には行けませんでしたが、 先生や看護師さん、リハビリの先生方が、定期的に様子を教えてくれました。

長い安静期間を経た体は、 劇的に回復するわけではないようでした。
でも、皆さんが口を揃えて言うのです。

「歩行や嚥下機能も大切ですが…… 何より

肌がツヤツヤになったんです」


思わず笑ってしまいました。

次に会いに行くのが、なんだか楽しみになりました。

パパには、家に帰るためのリハビリを。

私は、少し変わってしまったパパと これからどう向き合っていくのかを考える準備を始めました。



10月末。
パパが胃瘻を造設してから1ヶ月後、久しぶりに面会へ行きました。

嚥下造影検査(VF)の結果確認と、胃瘻栄養の管理指導のためです。
少し緊張して病室へ入りました。

でも——

そこにいたパパは、 本当に

お肌がツヤツヤでした。
ツヤツヤというより、
ピカピカ✨


顔色は明るく、血色も戻っていました。
張りも弾力も見違えていました。

私を見ると少し驚いた表情をして、 すぐにニコニコと笑い、
私にしか分からない不鮮明な言葉で、

「レオは?」

と聞きました。 その一言が、たまらなく嬉しかったのです。


⸻ VF検査の結果は、

「やはり食事だけで十分な栄養を確保するのは難しいでしょう。
でも、引き続き“食べること”を楽しめるようリハビリを続けましょう」

というものでした。

そして、胃瘻栄養の管理指導。

担当してくれた看護師さんは、とても気さくな方で、いつも自然と会話が弾みます。

「パパさん、本当にお肌がツヤツヤになったでしょう?」

「そうですね。本当にびっくりしました。
表情も良くなっていて、安心しました」

すると看護師さんが、笑いながら言いました。

「これ、毎晩ビールの代わりに1パック飲んだら、私もツヤツヤになるかしらね?」


あれほど重い決断だった胃瘻が、
こんな冗談で笑える存在になっていました。

あのときは——

「奪うか、守るか」

という選択だったのに、 今はまるで

美容ドリンク

のようです。

「食事が摂れない日は、その分を胃瘻で追加できます。 私たちも安心です。」
「ご家族も安心できますよ」

そう言ってもらえたとき、
あの日、必死に “負けじゃない”と言い聞かせていた自分に、やっと胸を張ることができました。

そして、このとき思ったのです。

胃瘻にして、よかった。
本当に、よかった。


そのくらい、 パパの顔はツヤツヤ、ピカピカで見違えていました。


体つきは、まだ細いままでした。
筋力も、決して十分とは言えません。

でも、不思議でした。
痩せているのに、弱々しくはない。

内側からエネルギーが戻ってきているようでした。

面会の終わり。

「また来るねー! 次は歩けるようになっておいてねー。 じゃあね👋」

冗談まじりにそう言うと、 パパは少し照れたように笑って、
不自由な手を振ってくれました。

あの日の帰り道は、 重たい決断をしていた頃とは違う、
少し軽い足取りでした。


“勝負の3ヶ月”を終える頃。

無事、退院が決まりました。

そして退院前カンファレンスが行われました。

カンファレンスには、パパの昔からの友達でもある、ケアマネのヒロさんも光栄病院に来てくれたのです。

画面の向こうには、330km離れた地元の看護師さん、デイケアの相談員、リハビリの先生方。

みんなが揃っていました。
総勢14名でのカンファレンスでした。

遠いのに、遠くない。

パパのこれまでを一緒に見てきてくれた人たちが、 同じ画面に並んでいることが、なんだか心強く感じました。

「ご自宅での生活に向けて、みんなでサポートしてけば大丈夫でしょう」

そう言ってもらえたとき、 やっと、本当に帰れるのだと思いました。

体はまだ万全ではありません。
歩行も、嚥下も、途中です。
胃瘻もある。
リハビリも続く。
不安がゼロになったわけではありません。

でも——
また家に帰れる。



前回の退院のときのような、 涙のお別れではありませんでした。

退院の時、私は言いました。

「もう戻ってこないように、頑張ります」

涙はありませんでした。
覚悟のほうが、勝っていたからです。

パパの再再出発。
今度こそ、家で生活するための出発です。



「同じように悩む誰かの力になりたい」
「家族だけでは抱えきれない不安に寄り添える存在でありたい」
という気持ちで新しい活動をはじめています。

家族の介護や暮らしの悩みを、一人で抱え込まなくてもいいように——
必要な人に、そっと手を差し伸べられる場所です。

活動名は、
「縁(yukari)ライフケアコンシェルジュ」
✉ en.yukari.concierge@outlook.jp
もし困った時、迷った時、話したくなった時は、どうか気軽に声をかけてください。

※個別でゆっくりお話ししたい方へ
現在、ココナラでも相談をお受けしています。
必要な方がいらっしゃれば、こちらからどうぞ。

https://coconala.com/users/5840741










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ひまわりの栞/それでもパパと暮らして行きたい介護ママ 読んでいただきありがとうございます。応援していただけると嬉しいです。 あなたにも小さな幸せがおとずれますように。