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「また!?オ・ヘヨン」「私のおじさん」「私の解放日誌」を追い続けてきた私が吐き出すパク・ヘヨン流「救済の設計図」〜捨てる神あれば、拾う神あり。誰かの手で生きる意味を還されていく「誰だって無価値な自分と闘っている」

(※ネタバレ注意)

 キョンキョン(柳家喬太郎)の「棄て犬」と「拾い犬」という自作落語が頭から離れない。「捨てる」「拾う」「捨てる」「拾う」…という言葉が数珠つなぎのように頭の中で繰り返される。
 韓国ドラマ「誰だって無価値な自分と闘っている」は、現在(2026年5月5日)全12話中、6話が終わり、前半を折り返した。
 
 ウナは実母である女優ジョンヒに捨てられた。けれど、捨てられたシナリオに価値を見出す映画PDであるウナは、同じようにドンマンのシナリオを見出し、ドンマン自身を拾う
 映画界から捨てられてるドンマンの口から吐き出されたネタを拾うのは「8人会」であり、それは映画という表現物に結実する。しかし、監督ギョンセの新作映画で、観客から見捨てられた女優ミランから拾われたのはドンマンであり、そのミランをウナは別の作品のために再び拾い上げる。
 
このドラマは、「捨てる」「拾う」「捨てる」「拾う」…の連続なのである。

メモせずにはいられない。


「無価値」を拾いあう連鎖〜剥き出しの人間たちが繋がる場所


 ウナが捕らわれ続けている「母から捨てられた」という呪縛を始点に見ると、このドラマは少し乱暴な言葉だが「捨てる」と「拾う」の関係性によって、剥き出しの人間たちが繋がっている。

 こうした構図は、過去のパク・ヘヨン作品では見られなかったものだ。
「また!?オ・ヘヨン」はヘヨンとドギョンの二人の関係性の中で完結し、「私のおじさん」はジアンとドンフンの関係が周辺を動かしていくものだった。「私の解放日誌」は、三兄妹がそれぞれに「自分」を見つけていく内省的な物語であった。
 誰かと出会い、共鳴し、解放されていくという根幹は変わらずとも、今作は肉付けが圧倒的に複雑化している。それを16話から12話に短縮された尺の中で展開するので、とにかく早いし、密度が濃い。パク・ヘヨン作家の進化なのか、それとも深化なのか。

 私たちは理屈では、「価値」とは絶対的ではなく、関係的・文脈的なものであることを知っている。このドラマのテーマである「無価値と闘う」の「無価値」は、誰かに直接突きつけられるものではなく、自分の中にある暗い影だ。理屈ではわかっていても、自分事として考えると、そう簡単に割り切れる問題ではない。

 8人会のリーダーが言う「ドンマンは自分が面白いということに気づいていない」という言葉は、まさにそれを言い当てている。
 誰かにとっての「ゴミ(不要なもの)」が、別の人にとっては「宝(必要なもの)」になるという事象は、価値がモノ自体に宿っているのではなく、それを見る側の「生(意志)」の文脈によって決まることを示している。
 
だからこそ、ドラマの中の「捨てる」「拾う」「捨てる」「拾う」……という循環が成立するのだ。

価値のパラダイムシフト〜「ゴミ」が「宝」に変わる瞬間


 このドラマが面白いのは、捨てられたものが拾われることで、見え方が劇的に変わっていくことである。

 例えば、ギョンセの映画「片腕のない次姉」に主演した女優ミラン(ハン・ソナ)は、一見、流行り言葉を弄する、はすっぱな人間に見えていた。
 義母である国民的女優ジョンヒ(ペ・ジョンオク)は、「流行り言葉を使うな、自分の言葉を使え」と正論を放つ。演出力のないギョンセのせいで、右腕が動かなくなったミランは、ドンマンによるギョンセへの「正しく面白おかしい悪口と批評」によって、呪縛が解けたかのように右腕が動くようになる。そのお礼に、彼女はドンマンの従兄弟の結婚式にゲスト出演し、祝歌を歌ってくれるのだが、その時の言葉が最高にイケてる。

曲はPsyの「예술이야/It’s Art」。この曲自身が最高オブ最高な上、
元Secretのハン・ソナが歌うわけなんで、天晴れすぎるシーンだ。

監督!
イケてるシナリオができたら、私が一番乗りだってこと忘れないでね

감독님, 앞으로 기깔 난 시나리오 나오면 내가 일착이라는 거 잊지 마시고

 彼女にとっての彼女らしい言葉とは、義母ジョンヒが言う形式的な言葉ではない。今の時代を生きている彼女自身が、彼女の感性で選び、彼女の身体で使う言葉である、そしてそれが生き生きしていてかっこいいということが、このシーンで伝わってくる。ジョンヒが忠告したものは、正論ではあったが、ミランにとっては「的外れ」だったことがわかる。

 ギョンセに対するドンマンの正しい悪口は、壊されたミランの腕を動かしただけでなく、義母からの圧力を受けた彼女の言葉を生き返らせた。
 そして彼女の「監督!」という呼びかけは、20年間捨てられていたドンマンを十分すぎるほどに満たした。まさに、「拾う」と「捨てる」の幸せな循環を見るようであった。

 私の頭の中から離れないキョンキョンの落語「棄て犬」と「拾い犬」で描かれる「捨てる」と「拾う」の連鎖は、魂の救済サイクルそのものであり、もっと言うと「捨てる神あれば、拾う神あり」を表現しているのだ。
 そう、価値は自分で決めるんじゃない。

死の番号から「始まりのゼロ」へ〜最強の「役」を持つウナの逆襲


 後半は、いよいよウナの力が本格的に発揮されていくはずだ。
 
 その予感は、彼女がつけている感情ウォッチのモニターNo.に隠されている。ウナの番号は「38番」。それをドンマンは、「花札の38光テン!/삼팔광땡!」と指摘していた。三月の札(桜)と八月の札(月)の組み合わせは、韓国花札において最強の「役」である。BTSの楽曲「땡」でも歌われるあの響きは、不遇を跳ね返す勝利の象徴だ。ウナは、ドンマンによって、最強の「役」を持つ闘志になった。

 対照的に、ドンマンのモニターNo.は4000番。4000人のモニターの中の、文字通り「最後」の番号だ。「4」という死を暗示する数字に、空っぽの「0」が3つも連なっている。世間でいう「捨てる神」の目には、これ以上なく「無価値」に映る番号に見えるし、すべてを吐き出した後の「始まりのゼロ」にも見える。ドンマンの「4000番」は、最強の「38番」を持つウナと繋がることで、この無価値に見える数字が劇的な意味を持ち始める。そんな、パク・ヘヨン流の鮮やかな「意味の反転」を期待せずにはいられない。

 まずは、ドンマンの口からこぼれ落ちた、宝石のようなネタをウナは拾い集め、ドンマンの口へと「戻して」再生させる。
 
 7話の予告で、ウナは「ヨンシルという名前をペンネームに使っていいか?」と問うている。「ヨンシル」は兄ジンマンが捨てた(離別した)娘の名前であり、自殺未遂を繰り返す彼にとっての最後の命綱だ。
 ドンマンは、世界に置き去りにされたヨンシルを拾い直す決意をした。ウナが、この実にクラッシックな「ヨンシル」という名前を背負って世に放つことで、失われた縁は再び結びつくのだろうか。届いたらいいな、と願う。

 母である女優ジョンヒとの対峙も、これからはウナとミランという「血のつながらない娘二人」の共闘が鍵になるのでは?と考えると口角が上がる。
 ミランが自らの言葉で叫び始めたのは、このタッグのための「再生」だったとも言える。

 8人会については、自己主張の塊のようなクリエイターたちが、20年もグダグダと付き合っていること自体がもはや奇跡であり呆れている。仲良しなんだよ、あの人たちは。もう、好きにしてほしい(笑)。

 いずれにしても、最強の「役」を手にしたウナを軸に、「捨てる神あれば、拾う神あり」の循環は加速していく。

 神は最後に、誰に向かって微笑むのか。
 後半戦の闘いが楽しみでならない。

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私なりの視点ですが、あなたにはどう届いたでしょうか。異なる視点が交差して、このテーマがより深く、広く広がることを楽しみにしています。 
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